令和6年7月4日(木)
名古屋市笠寺観音③
ふと、師匠の宗匠である
芭蕉の句がよぎる。
「星崎の
「星崎の
闇を見よやと
啼く千鳥」 。
芭蕉は、この句の中で、
芭蕉は、この句の中で、
具体的に何を見なさいとは
言っていないし、
また、何かを闇の中に見たとも
言っていない。
それを千鳥に託すとは、
何を千鳥に托すのだろうか。
師匠が 言わんとしている
ことの意味は、
この句に手がかりがあるのかも
知れないと、以之は思いを巡らす。
この句では、
この句では、
連歌発句の頭として、
「星崎の」と置き、
月が出ていれば、
星崎の夜はどんなに美しかろうかと、
恐縮している主人をなぐさめている。
季語を千鳥とし、
闇と組み合わせることにより、
夜の寒さや夜風の冷たさを
想わせている。
耳をすますと、
障子越しにいろいろと聞こえてくる。
それは、
あゆちの浜の松林の間を、
くぐり抜けて来る松風の音だったり、
風に飛ばされた落ち葉が
障子に当たる音だったり…。
十七文字の中で、
十七文字の中で、
闇の中の千鳥の声だけが実体であり、
あとは闇一色である。
千鳥の声を称賛することで、
星崎の松林をくぐり抜ける
夜の風の音や、
落ち葉が風に運ばれて来る音など、
闇夜のすばらしさを千鳥に託している。
芭蕉は、この句の中で、
芭蕉は、この句の中で、
自然を巧みに詠んだ。
この句には、「軽み」が表現されて
いるのではないかと、
以之は思い至る。
いつの間にか、
いつの間にか、
雲が風に流され、
満月が顔を出した。
気がつくと、
隣に各務支考が立っていた。
「お師匠様、
『星崎の
闇を見よとや
啼千鳥』
という句は素晴らしいですね」
と、丹羽以之は話しかける。
各務支考はおもむろに、
口を開き、
「私も、たいそう好きな句の一つ。
「私も、たいそう好きな句の一つ。
句は、感ずるままにとは申すが、
目に見えるだけでなく、
耳、鼻、手の触感、
五感をとぎすまして感じ、
それを言霊にして、
心を句に表現しなければなりません」
各務支考は、さらに話を続ける。
「芭蕉は、
各務支考は、さらに話を続ける。
「芭蕉は、
ここ笠寺の絵馬奉納において、
歌を寄せている。
「笠寺や
「笠寺や
もらぬ崖も
春の雨」
という句だ。
笠覆寺の玉照姫が、
観音様に笠をあげた話を聞いて、
感じ入って詠んだ句で、
玉照姫のお話を知っている人には、
句の中に、玉照姫の優しさの
言葉が一つも入っていなくても、
玉照姫の優しさが伝わって来る。」
各務先生が、
各務先生が、
芭蕉翁の句について語る話に、
丹羽以之は、
自分の未熟さを思い知る。
丹羽以之は、わずか三年で、
丹羽以之は、わずか三年で、
俳諧を分かろうとした自分を恥じて、
それ以後俳諧の勉強を続け、
芭蕉の没後、
三十六回忌の法要の際に、
ここ笠寺観音に供養塔を建てる。
それが、「笠寺千鳥塚」である。
その碑の底に、
その碑の底に、
松尾芭蕉遺品の手鏡を納めた
という伝説が残っている。
また、
笠寺観音の境内にある春雨塚には、
芭蕉の尾張の門人の句碑が
刻まれている。
旅寝を
起こす花の
鐘楼
知足
笠寺や
夕日こぼるる
晴れしぐれ
素堂
大悲の
大悲の
この葉鰭と
なる池
蝶羽
笠寺や
浮世の雨を
峰の月
亀世