令和6年7月27日(土)
紀の川市 粉 河 寺 ①
奈良時代末草創時この方、
奈良時代末草創時この方、
粉河寺(こかわでら)は
多くの人達の信仰を受け、
繁栄する。
<山門>
鎌倉時代には七堂伽藍、
五百五十ヶ坊、
東西南北各々四キロ余の広大な
境内地と寺領四万余石を有している。
天正13年(1585)、
天正13年(1585)、
豊臣秀吉の兵乱に遭遇し、
偉容を誇った堂塔伽藍と
多くの寺宝を焼失する。
<奈良時代末草創の粉河寺>
<本殿>
その後、
紀州徳川家の庇護と信徒の寄進
によって、
江戸時代中期から後期に
現存の諸堂が完成する。
<巌庭園も見事>
由緒話もある。
奈良時代末宝亀元年(770)の開創。
奈良時代末宝亀元年(770)の開創。
当時、
紀伊国那賀郡に住む
猟師大伴孔子古は、
いつも幽谷の樹幹に足場を定めて、
夜ごと猪や鹿を狙っていた。
ある晩、光明輝く地を発見。
発心してその場所に柴の庵を建てる。
<粉河寺讃歌>
~つづく。