令和6年7月2日(火)
江東区深川から名古屋市鳴海まで
貞享4年10月25日~11月7日
貞享4年10月25日~11月7日
14日間で鳴海の知足亭に宿泊。
戸塚から小田原、箱根、吉原、
戸塚から小田原、箱根、吉原、
府中、金谷、見附、白須賀、
藤川の各宿場町で泊まり、
345.8キロの行程をひとり旅。
一日30数キロの行脚であり、
一日30数キロの行脚であり、
やはり健脚である。
深川から鳴海宿までの旅は、
深川から鳴海宿までの旅は、
「野ざらし紀行」と重複するので、
カットする。
名古屋市鳴海宿
笠寺観音・笠覆(りゆうふく)寺
『おいの小文』によると、
「鳴海のとまりて」と表記。
『おいの小文』によると、
「鳴海のとまりて」と表記。
(愛知県鳴海町の鳴海宿は、
東海道五十三次の
40番目の宿場町。)
『知足斎日々抄』の
『知足斎日々抄』の
11月4日の項に、
「松尾桃青老
「松尾桃青老
江戸より御越御泊り」
と記録有り。
下里知足邸に滞在。
「星崎の
「星崎の
闇を見よやと
啼く千鳥」
は、寺島安信亭での作。
そして、
そして、
「飛鳥井雅章公の此宿に
とまらひ給ひて、
『都も遠くなるみがた
はるけき海を中にへだてゝ』
と詠じ給ひけるを、
自らかゝせたまひて、
たまはりけるよしをかたるに、
『京までは
まだ半空や
雪の雲』」
と記載している。
山門近くに駐車場が見当たらず、
と記載している。
山門近くに駐車場が見当たらず、
一方通行と周囲の道も狭く、
人や車が蠢いているという感じ。
3回ほど周回。
取り敢えず山門前に停車。
取り敢えず山門前に停車。
<山門>
見れば細い路地の方に
駐車場が目に入る。
一安堵!
一安堵!
~つづく。