貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

川崎宿:川崎大師その5 子規と桃隣そして芭蕉との別れ!

2023-06-21 11:17:55 | 日記
令和5年6月21日(水)
<正岡子規の句碑>

「朝霧の 
  雫するなり 
     大師堂」
 明治の俳聖・正岡子規
(1867~1902)は、
明治27年(1894)11月3日に
川崎大師を参詣、俳句を詠む。
 当山では平成26年の大開帳奉修を
記念し、
子規直筆の句集『寒山落木』より、
当山に縁のあるこの句を建碑し、
永く子規の足跡を記す。
<正岡子規の句の由来碑>


「人は皆 
   去って声あり 
      花に鳥」

 この碑は、
<三世桃隣の句碑>

三世桃隣を慕う門人達によって
建碑される。
 因に一世桃隣は、
芭蕉の弟子で、
元禄7年(1684)5月8日
郷里伊賀に向けて江戸を旅立つ
芭蕉を川崎宿に見送る。
 その時芭蕉は、 
「麦の穂を 
  たよりにつかむ 
    別れかな」                           と詠んで、
人々に別れを告げる。
 元禄7年、
芭蕉は難波で
「旅に病んで 
  夢は枯野を 
    かけ廻る」
と辞世の句を残して没する。
 すると、
深川芭蕉庵の古池の傍にあった
柳の大木が枯れてしまう。
 弟子たちは師を慕って
その木で翁の座像を造り、
一世桃隣、二世桃隣、三世桃隣と
伝えてきたという。



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