貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

多賀城市末の松山②貞観地震が末の松山の意味を生みだす!

2025-01-28 13:44:32 | 日記
令和7年1月28日(火)
多賀城市末の松山②
 しかし、
どうして「末の松山」と「波」は、
一緒に詠まれているのだろう?
<古今和歌集東歌碑>

実は、869年(貞観11)、
陸奧国で大地震が発生し、
多賀城の国府のそばまで
大津波が襲ったという
貞観地震。
 多賀城政庁の建物が壊れ、
千人以上の犠牲者が出る。
 標高10メートル程の
小山の末の松山の麓まで
津波が押し寄せたそうだが、
山を飲み込むことはなく、
無事だった。」
という記録が残っている。
<おくのほそ道の説明も>

 そのことから、
「末の松山」は、
決して波が越すことのない場所、
契りや約束を表す言葉として
詠まれるようになったのだ
といわれている。
<歌碑の説明碑>
 現在の二本の黒松は、
推定樹齢480年である。
<二本の黒松>

 名勝「奥の細道の風景地」
の二つ目を、前回見逃したので、
今回堪能。 
<末の松山碑と説明>

 壷の碑の管理事務所の方が
下さった資料のお蔭である。
 有難し!
 名勝「奥の細道の風景地」
の三つ目の、
 「沖の井」は、
すぐ近くにある。



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