貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

 金 沢 : 願念寺

2017-04-18 11:41:10 | 日記
 金 沢  : 願念寺

2015年9月20日(日)

元禄2年(1689年)旧暦7月、

『おくの細道』で金沢入りした松尾芭蕉は、

一笑が前年の霜月6日死去したことを知り、

慟哭。

 22日、ここ願念寺で催された追悼会で

芭蕉は、  

  「塚も動け 我泣く声は 秋の風」

と、その悲しみを詠んだ。

金沢市の願念寺山門



願念寺本堂



一笑の墓と芭蕉ゆかりの寺の説明



芭蕉句碑

「塚も動け 我泣く声は 秋の風」


富山県射水市:奈呉の浦 放生津(ほうしょうづ) 八幡宮

2017-04-17 13:54:39 | 日記
富山県射水市:奈呉の浦

放生津(ほうしょうづ) 八幡宮

午前7時12分~

落ち着いた風土の中で、広々とした神社。

大伴家持と芭蕉句碑を詣でる。

 『かがの国に入』っての最初の句。

早稲の香や わけ入右は 有磯海(ありそうみ) 

                芭蕉翁

 陰暦7月15日、芭蕉は金沢に到着。

 体調は悪かったようだ。

 曾良の日記には、

「翁、気色不勝(勝れず)。暑極テ甚」

と記されている。

 残暑が長く厳しかったのであろう。

 それでも、早稲の香りを満喫していたようだ。

放生津八幡宮の鳥居 雲厚く





大伴家持創建による万葉古社として



社殿







芭蕉句碑

早稲の香や わけ入右は 有磯海(ありそうみ) 



大伴家持の歌碑?






親不知・子不知・市振 

2017-04-16 16:00:37 | 日記
<聴 信 寺>

荒海や 佐渡の横たふ 天河  翁

 この句は、この日に披露されたか?

 この寺は参拝できず。

<春日山城趾> 上越市

春日山城趾物語の館があり。

 立て札がたち、説明されていた。

 上越市の城跡を散策。特に印象はなし。

 時間も時間なので、親不知ピアパーク

という道の駅に向かう。



<親不知・子不知・市振> 

2015年(平成27年)9月29日

午後4時25分~ 親不知ピアパークに到着。

 親不知子不知県立自然公園にて、

海と10キロにわたる難所を、旧国道を走る。

 たら汁(1000円)は、すこぶる旨し。

 トラックの宿泊も多く、落ち着かない感じ

なので、糸魚川市の市振まで足をのばす。


<桔梗屋跡地 >

   9月19日 17時20分~

 芭蕉はこの宿場の桔梗屋という宿に泊まった。

「おくのほそ道」では、ここでの出来事として

二人の遊女との出会いを記している。

『今日は親しらず・子知らず・犬もどり・駒返し

など云北国一の難所を越えて、つかれ侍れば、

引き寄せて寝たるに、一間隔てて面(おもて)

方に、若き女の声二人計(ばかり)ときこゆ。

老たるおのこの声も交じりて物語するを聞けば、

越後の国新潟というところの遊女なりし。

伊勢参宮するとて、此関までおのこの送りて、

あすは故郷にかへす文をしたためて、はかなき

言伝(ことづて)などしやる也。・・・・』

 芭蕉は遊女たちの話を聞きながらいつしか

寝入ってしまうが、翌朝この遊女たちにここから

先の旅の同道を求められた。

 しかし、芭蕉は『我々は所々にてとどまる方

おほし』という理由で断っている。

 この後に芭蕉は、

『一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月』

という句を残している。

 文学作品としての「おくのほそ道」のなかで、

最もあでやかな部分ともいえるだろう。

「海道の松」の先に、市振宿跡の町並みが

残っている。

 建物はみな新しくなり、古い遺構なども見られ

ないが、何となく宿場の雰囲気が感じられる。

少し先の街道脇に桔梗屋跡の標識が立てられて

いた。

桔梗屋の説明板



桔梗屋





松と日本海に沈む夕日 絶妙!!









道の駅に到着





日本海の街道の夕景色を眺め入り、

越後市振の関・滑川という道の駅に宿す。

ぐっすり眠れ、海産物も購入。





親不知・子不知・市振 

2017-04-16 16:00:37 | 日記
<聴 信 寺>

荒海や 佐渡の横たふ 天河  翁

 この句は、この日に披露されたか?

 この寺は参拝できず。

<春日山城趾> 上越市

春日山城趾物語の館があり。

 立て札がたち、説明されていた。

 上越市の城跡を散策。特に印象はなし。

 時間も時間なので、親不知ピアパーク

という道の駅に向かう。



<親不知・子不知・市振> 

2015年(平成27年)9月29日

午後4時25分~ 親不知ピアパークに到着。

 親不知子不知県立自然公園にて、

海と10キロにわたる難所を、旧国道を走る。

 たら汁(1000円)は、すこぶる旨し。

 トラックの宿泊も多く、落ち着かない感じ

なので、糸魚川市の市振まで足をのばす。


<桔梗屋跡地 >

   9月19日 17時20分~

 芭蕉はこの宿場の桔梗屋という宿に泊まった。

「おくのほそ道」では、ここでの出来事として

二人の遊女との出会いを記している。

『今日は親しらず・子知らず・犬もどり・駒返し

など云北国一の難所を越えて、つかれ侍れば、

引き寄せて寝たるに、一間隔てて面(おもて)

方に、若き女の声二人計(ばかり)ときこゆ。

老たるおのこの声も交じりて物語するを聞けば、

越後の国新潟というところの遊女なりし。

伊勢参宮するとて、此関までおのこの送りて、

あすは故郷にかへす文をしたためて、はかなき

言伝(ことづて)などしやる也。・・・・』

 芭蕉は遊女たちの話を聞きながらいつしか

寝入ってしまうが、翌朝この遊女たちにここから

先の旅の同道を求められた。

 しかし、芭蕉は『我々は所々にてとどまる方

おほし』という理由で断っている。

 この後に芭蕉は、

『一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月』

という句を残している。

 文学作品としての「おくのほそ道」のなかで、

最もあでやかな部分ともいえるだろう。

「海道の松」の先に、市振宿跡の町並みが

残っている。

 建物はみな新しくなり、古い遺構なども見られ

ないが、何となく宿場の雰囲気が感じられる。

少し先の街道脇に桔梗屋跡の標識が立てられて

いた。

桔梗屋の説明板



桔梗屋





松と日本海に沈む夕日 絶妙!!









道の駅に到着





日本海の街道の夕景色を眺め入り、

越後市振の関・滑川という道の駅に宿す。

ぐっすり眠れ、海産物も購入。





上越市:琴平神社

2017-04-15 10:19:05 | 日記
直江津:琴平神社

 9月19日(土)午後2:30~

 海浜道路ともう一つの道路の狭間にある

神社で、見落としてしまいそう。

 関川の河口にある。

 航海安全の神として社殿が建てられたよ

うだ。

 四国の琴平神社からの分霊だそうだ。

 芭蕉は、元禄2年(1689)7月6日に、

直江津に入り、翌日句会が開かれたもよう。


 新たな歌碑とそれ以前の芭蕉句碑が残さ

れており、貴重な神社である。

文月や 六日も 常の夜には似ず
       
               はせを

 神社境内のすぐ脇には、安寿と厨子王の

供養塔もあった。子どもの時の学芸会の

定番のひとつでもあった。

琴平神社 



左が社殿



芭蕉句碑説明板



芭蕉句碑先代・・・趣がある。

文月や 六日も 常の夜には似ず はせを



芭蕉句碑新しきもの

文月や 六日も 常の夜には似ず