貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

豊川市西明寺その2東三河で一番古い芭蕉句碑!

2023-09-25 14:02:53 | 日記
令和5年9月25日(月)
 2度目の参拝だが、
芭蕉句碑がまたわからず。
<由緒>

<大銀杏>

 プレスクールの周囲の
草取りをしている男性の方に
尋ねることになる。
 20分ほど歩くと、
昔の西明寺の入口、
山門があった処。
 幹線道路沿い。

 現在の住宅地は
昔は寺領だったことを
伺うこともできる。
 芭蕉句碑は
屋根付きで守られている。
<屋根付き芭蕉句碑>

<芭蕉句碑>

 芭蕉の句は、
「かげろふの 
   我肩に立 
    紙(かみ)衣(こ)哉」
 冬のまま着込んだ紙子(衣)
の肩に、ふと気がつくと
陽炎が揺らいでいる、
 さすがに春だ
の意。
 紙子は、
渋紙で作った粗末な防寒衣。
<芭蕉句碑の背面と側面>

 「寛保3年(1743)10月、
俳聖芭蕉翁50回忌の際に、
国府の俳人(小沢才二)が
建てた物で、
現在東三河にある句碑の中で
一番古いもの」
と、説明板には記されている。

 側面と背面にも何か記されて
いるが、ちょっと読み取れず。
<プレスクール>

 見応えのあるプレスクール。
運動場も広く、
最初見た時は圧倒された。


令和5年9月24日(日) 平安時代からの由緒とベルツ博士と樹齢四百年のモッコク!

2023-09-24 10:24:59 | 日記
令和5年9月24日(日)
 「暑さ寒さも彼岸まで」
とはよく云ったもの。
 昨夜は寒くて目が覚め、
一枚上に夏掛けをかけた。
 それでも少し寒くタオルで
首を覆う。
 数回トイレにも行くという珍事!
 今朝は北風。
 十時過ぎの今も肌寒い風が・・・・!
 暑さ慣れの躰に身にしむ・秋の風!!
豊川市: 西 明 寺   
<見事な山門、左はプレスクール>  
     
 平安時代、
三河の国守大江定基公が愛妾
力寿姫の死を悲しみ、
庵を営み六光寺と名づけ、
冥福を祈ったのが始まり。
 鎌倉時代に入り、
北条時頼公が出家して、
最明寺入道となって
この地に足を留めた時、
「最明寺」と改称される。
 その後、
戦国時代の永禄5年(1562)
徳川家康公が八幡砦における
今川氏との戦いの際、
当寺に立寄り、空腹を凌ぐ。
 その恩雇を深く感じ、
最の一字を西と改め、
「西明寺」となる。
<本殿>

 現代になっては、
昭和5年(1930)ベルツ博士の供養塔が、
花夫人によって建立される。
 これは博士が生前篤く仏法を信仰し、
また当寺が花夫人先祖の菩提寺
であったことによる。
<ベルツ博士供養塔と水原秋桜子の句碑>

 傍らに、水原秋桜子の句碑が
建てられている。
 三国伝来の数々の古画名筆も
保存され、庭園も見事。
 山門左側の敷地内には
樹齢四百年のモッコク
(豊川市公認の木)があり、
見応えと癒しの雰囲気を
醸し出している。
<樹齢四百年のモッコク>

<菩提樹の説明>

 2度目の参拝だが、
芭蕉句碑がわからず。
 プレスクールの周囲の草取りを
している男性の方に
尋ねることになる。
 20分ほど歩くと、
昔の西明寺の入口、
山門があった処。
幹線道路沿い。
<昔山門があった場所>

 現在の住宅地は
昔は寺領だったことを
伺うこともできる。
~つづく。






 


豊川市: 国府観音寺  極楽は爰ならん!

2023-09-23 10:11:49 | 日記
令和5年9月23日(土)
豊川市: 国府観音寺    
<山門前>
      
 本尊は大須、浅草と同じ
一寸八分の観音像といわれている。
 この観音像は、
慶長15年極楽寺の住僧が
俗に玉入りといわれていた
地中から発掘したもので、
その住僧が本寺の開基となっている。
<本殿>

 極楽寺の傍にあり。
 観音寺は極楽寺の管轄。
 隣は神社である。
 元禄2年(1690)に芭蕉が詠んだ
「紅梅や 
  見ぬ戀つくる 
    玉すだれ」
の句碑あり。
<芭蕉句碑>

 天保14年(1844)建立。
 玉簾の奥にいる人を、
どんな美人かと奥ゆかしき思い、
まだ見ぬ恋に心をときめかす
の意。
<芭蕉句碑の側面と背面>

 紅梅の艶と
「玉簾」の古典的な感じで、
古物語の高雅幽艶の世界を描く
虚構の作。
<芭蕉の句の説明>

「此むつきのすへ
 御所のうちを通りて
 折ふし春雨のそぼふりて、
 御殿御殿の紅梅
 今をさかりと見え、
 音楽聞え
 誠に極楽ハ爰(ここ)ならん哉と、
 いとゞ心も ほれほれと
有がたき泪をこぼし通りけるとて」
という前書きあり。


豊橋市: 老津神社:老津公園  四つの句碑を散策!

2023-09-22 10:08:32 | 日記
令和5年9月22日(金)
豊橋市: 老津神社:老津公園       
 先ず、老津神社を参拝!
<社殿>

 老津公園には、
<老津公園>

芭蕉の句碑が4つあるという。
 老津駅前の公園。
 公園入口にある説明板で了解!
<説明板>

 公園の広場を囲うように、
4つの芭蕉の句碑がある。
 公園は広くはないが、
広場の周囲に散策路があって、
芭蕉句碑を楽しみながら一周。
 <芭蕉句碑その1>
        
「きてもみよ 
  甚べが羽織 
    花ごろも」
<芭蕉句碑その2>

「蛤の 
  ふたみにわかれ 
     行く秋ぞ」
<芭蕉句碑その3>

「よし野にて
   桜見せふぞ 
     檜の木笠」
<芭蕉句碑その4>
この写真、消滅!ごめんなさい!
谷底まで行って溝川を飛んで見つけた
句碑だったのに・・・残念無念!
「旅に病んで 
   夢は枯野を 
     かけ廻る」





豊橋市: 東 観 音 寺 木槿は一瞬にして眼前から・・・!

2023-09-21 10:19:11 | 日記
令和5年9月21日(木)
豊橋市: 東 観 音 寺          
 東観音(とうかんのん)寺は、
臨済宗妙心寺派の寺院。
<山門>
 
 山号は小松原山。
 本尊は馬頭観音菩薩。
 寺伝には、
天平5年(733)行基が自ら
本尊馬頭観音を刻み創建。
 平安時代には真言宗に属したが、
室町時代には現在の臨済宗に改宗。
 国の重要文化財に指定されている
馬頭観音懸仏は
文永8年(1271)、
三河の地頭安達泰盛が寄進したもの。
<本殿>

 同じく国の重要文化財の多宝塔は、
戸田氏の重臣藤田左京亮定光が、
大永8年(1528)に寄進したもの。
 近世に入ると、
徳川家から寺領を寄せられ、
江戸時代には多くの末寺を有する。
<本寺所蔵の文化財説明>

<文化財所蔵の多宝塔>

 元々遠州灘沿いに位置していたが、
宝永4年(1707)の津波で被災し、
正徳 6年(1716)に
現在地に移転する。
 境内には「木槿塚」という
<木槿塚>

芭蕉句碑がある。
<芭蕉句碑>

 句は、 
「道のべの 
  木槿は馬に 
    くはれけり」 。
 芭蕉は馬の上。
 前方に槿の花が咲いている。
 芭蕉の目は
この花に放心したように
吸い付けられる。
 世界はただ一輪の
槿の花だけしかない。
 とその時、
馬の長い口がひょこっと現れて、
瞬間槿の花が消えている。
 消え去った槿の鮮やかな白さが
残像として前より強烈に
瞼に映じている。
 芭蕉、
中期の最高傑作の一句。
 ムクゲは、「キハチス」ともいい、
朝顔に似た花をつけ、
朝咲いて夕方に萎んで落ちる。