那須郡 高久宿 : 高 福 寺 ①左衛門左衛門で二泊した芭蕉たちは! 2024-10-26 15:56:22 | 日記 令和6年10月26日(土)那須郡 高久宿 : 高 福 寺 ① 高福寺は、黒羽領の大名主高久家の菩提寺で、 芭蕉は、高久覚左衛門の家に2泊する。<山門><本殿> 句碑には、高久村庄屋の家にやりとりて 「落くるや たかくの宿の 時鳥」 翁 「木の間をのぞく 短夜の雨」 曾良 <芭蕉と曽良の句碑> 「大正2年(1913)6月建立」 と刻印されている。~つづく。
大田原市 光明寺跡 看板と老木の赤松のみ! 2024-10-25 10:17:08 | 日記 令和6年10月25日(金)大田原市 光明寺跡 看板が立っているだけで、お寺の跡の風情はなし。 生い茂った赤松の老木が寸時の雰囲気を醸し出すのみ。 句碑があれば、「夏山に 足駄を拝む 首途哉 (かどでかな)」
大田原市 西 教 寺 曽良の句碑! 2024-10-24 10:14:15 | 日記 令和6年10月24日(木)大田原市 西 教 寺 <本堂> 古びた本堂とお墓がある。 親鸞上人像と句碑もあり。 門前に、曾良の句碑がある。 句は、「かさねとは 八重撫子 名成るべし」。
大田原市 白旗城跡と余瀬地区 芭蕉と余瀬地区とのつながり! 2024-10-23 11:03:36 | 日記 令和6年10月23日(水)大田原市 白旗城跡と余瀬地区 黒羽城主大関氏が居城した城跡がこの余瀬地区に。<白旗城址説明板><余瀬地区> 黒羽に到着した芭蕉は、その足で城代家老・浄法寺図書高勝(通称図書、俳号桃雪、秋鴉)を訪ねる。 その後、その弟である余瀬の鹿子畑桃翠邸に向ったといわれている。<芭蕉と余瀬地区のつながり> ホタルブクロの咲いた所に、「奥の細道」の石碑も新たに建てられている。<おくのほそ道石碑>
大田原市 篠原玉藻稲荷神社「九尾の狐」と実朝、芭蕉の句歌碑! 2024-10-22 10:01:15 | 日記 令和6年10月22日(火)大田原市 篠原玉藻稲荷神社 玉藻稲荷神社は、「九尾の狐」を伝える神社としても有名。 <社殿> その昔、狐の化身でありながらその麗美な姿のため、帝にたいへん寵愛された「玉藻の前」という美女がいる。 <由緒> しかし、帝が病気の折の祈祷で、その正体を顕わにした九尾の狐は、この地に逃げ込む。 蝉に身を変え、桜の木の陰に隠れていたのだが、鏡が池に映った真の姿を見つけられ討たれてしまったという。<鏡が池の説明> 鏡が池は、今もなお清らかな湧き水をたたえ、その名にふさわしく、水面に緑深き風景を映し出しながらひっそりと広がっているという。 鏡が池の説明板はあったが・・・。<芭蕉句碑> 芭蕉の句は、 「秣(まぐさ)おふ 人を枝折りの 夏野かな」。<源実朝の歌碑>