お疲れ様・・・ コンケア道標の萩野です! m(__)m
今日は、、仕事の打ち合わせでドゥ・スポーツプラザ 南砂に行ってきました!
東西線南砂町のSUNAMOの中にあるのですが・・・ そこには、、
教え子『やすひさ』君がABCマートにて勤めています。。
やすひさ・・・ コメントありがとうね。。確かに『ガッカリ、、(-_-;)』な結果ではあったが、、、良い刺激ではあったよ。。\(^o^)/ ぜひ、、来年は都合を合わせて一緒に参加しようよ! 今日、南砂に行った時に『ABCマート』に寄ったけれど、、いなかったなぁ。。(>_<) まぁ、6月から毎週金曜日に行くので、また会いに行くよ!(^O^)/
そして・・・
打ち合わせに行ったらば、、6年前まで契約していた現在は“コナミ五反田”になっていますが、その前は“ニッセイエグザス五反田”だったのですが、そのクラブ時代にお世話になった“八巻”さんに約10年ぶり位に逢い、また一緒に仕事をするという事で、業界の狭さと人生は狭いところで環っているなぁ・・・と思いました。。(@_@)
今日は・・・
5月5日に書いた『幼少期時代』の続きを書いてみたいと思います。。
私は、小学校の2年生か3年生位のころから『柔道』を始めました。。 基本的に“耳が悪く(当時は気づきませんでしたが)”反応が鈍い“いじめられがち”な『私』は『強くなりたい!』という“希望”というか“夢”を持っていました。。 その当時、流行っていたテレビドラマ“柔道一直線”の主人公に憧れ・・・『柔道やりたい!!<(`^´)>』ということばになって現れました。
しかし・・・ 柔道というスポーツはひどく『地味』な運動でした。。(-"-)
来る日も来る日も、、『受け身』中心。。運動は嫌いではなかったですが、、不器用な私は『技』の上達も遅く、、『なんだ?二段投げは??地獄車は???出て来ないの(?_?)』という感じで、急速に『冷めていく』感じでしたが・・・、自分から『やりたい!』と言って始めた手前、親は簡単には辞めさせてくれません。。(+_+)
すると・・・
からだというのは良く出来たもので、、柔道の練習日になると本当に『腹が痛い!』となるわけです。。そういう子どもは今でもいるでしょうから・・・、擁護する為にも強く言っときますが、、これは決して『嘘』ではありませんし、、『仮病』でもなく?(ここは微妙)、、本当に『お腹』が痛くなるのです。。『仕方ないねぇ!寝てなさい。。<`ヘ´>』と親に言われ、、ベッドで寝ているのですが、不思議な事に柔道の練習時間が過ぎると『ケロッ』と痛みがとれるのですから、、不思議です・・・。(?_?) これが、、“ストレス性”という奴なんですね。。( ..)φメモメモ 困るのは、、『腹』が痛いと言って休んだので、、美味しい“オカズ”は食べられず。。。『おかゆ』さんのみ、、というのがちょっと辛い (-_-;) だってその時は『元気』なんだから・・・。。( 一一)
そんな『私』でしたので、、小学校時代は『強く』なる訳もなく。。。逆に『おまえ生意気に柔道やってんだって!?』と言われ、『俺と勝負しろよ!』と、“でかいからだ”して、、振り回される始末です。。(T_T)
それでも・・・中学でも柔道部に一応入ったのですが、、『胃潰瘍(ストレス性)』になり直ぐに辞めてしましました。。
中学に入り、『俺は耳が悪いんだ!』という事に気づき、2年生の時に“良い友達”に出逢い、自分を“出す”トレーニングができ、性格も表現も明るくなった時に、地域の運動会に駆り出されました。その時は、、脚が速かったんですね。。(100mを12秒4で走っていました)それを見た同じ地域に住んでいた『工学院大学高等学校』の柔道部顧問と私の中学校の柔道部の顧問が『国士舘』を通じた先輩・後輩の関係だったんですね。。それで『おまん、柔道やらんか?』とスカウトされました。。
中学校3年の時は、、なぜか??大活躍で。。神奈川県央地区で3位に入る活躍までし、、県大会にも出ました。。(?_?)
そして・・・ 高校進学時、、スカウトされたという『経緯』を知らなかったので、脚の速さに多少の自信のあった『私』は、『高校でラグビーをやりたい!』と思い、当時神奈川県では強かった“相模台工業高等学校”を志望していましたが、『おまえは“工学院”!』と言われ、『推薦が来てんだぞ!勉強しないで入れるんだ!工学院に行け!!<`ヘ´>』と先生方に言われ、なんか『理不尽(この言葉もわからない阿呆でしたが・・・)な!<`ヘ´>』という感覚を持ちながら“工学院高等学校 工業化学科”に進学しました。。まぁ、当時の工学院は普通科は入るのが難しい偏差値も高かったですが、、工業科は“誰でも行ける明るい学校”ってな感じでした・・・。
まぁ、、そんな感じで工学院に進学しましたが・・・、柔道部は強烈だったなぁ。。
当時は、、『ヤキ』『シゴキ』ってのが当たり前の時代だったので、練習が終わり、トレーニングで体育館の“たか~~い”天井から吊るしてあるロープを登るトレーニング!中学卒業したて(同好会だよ!)の『俺達』に筋力なんてある訳もなく・・・ それでも・・・
『こらぁ~、なにやってんだぁ~、脚使うなぁ!手で登らんかぁ~<`ヘ´><`ヘ´>』と下から怒鳴られ、なおかつ・・・下からロープを振り回される始末。。“必死”で昇降し、降りた時には『摩擦』で手の平が“火傷”状態です。。(T_T)
そして一通り終了すると・・・ 道場に帰って、、『正座』と言われ、板の間に3年が帰ってくるまで正座して待つ。。いつ帰ってくるかわからないから、、崩す事も出来ず、、、3年が帰って来た時には『痺れ過ぎ・・・感覚なし』状態で、そこから、、一人ひとり説教言われ、、竹刀で叩かれ、腹にけり・・・後に倒れる!という流れで、、直ぐにまた座り直したいけれども・・・ 足が痺れ動かないので、『生まれたての子午と下手糞なバレリーナ状態・・・』でまた・・・ドヤサレテ。。(T_T)
そして・・・ 一通り終わったら、、腕立て、スクワットのシゴキが待っていて・・・ (T_T)
仕上げに・・・ 『スッポンポン』で生まれたまんまにさせられ、、余興やれ!と・・・(T_T)(T_T)(T_T)
こんな感じで・・・柔道が嫌いになったなぁ。。
それでも、、続けて、、一番理不尽だと思ったのは、昼食も道場で食べるんだけど、、3年は神様だから“投げ込みマット”で弁当を食べ、2年生は畳の上、、1年生は見張りを兼ねて玄関脇板の間で弁当を食べる・・・ すると、、3年の『おい!』という声と共にダッシュでマットに向かって走り、正座。。すると『串カツ買ってこい!』と出されたのが、500円と殴り書きした“紙切れ” (@_@) 『嫌!』とは言えないので・・・、泣く泣く、、自分で500円出して串カツ買ってくるという。。。(T_T) この理不尽さ! これが『高校スポーツ界』の現実だったなぁ。。
現在は・・・ だいぶ変わったであろうが、、スポーツ系の教え子に聞くと似たような印象も多いです。。嘆かわしい事だな(>_<)
当時、、先輩達を送り出し、、、八王子駅の通路で、1年生ばかりが集まり、、、『俺達が3年生になったら、こんな理不尽な事を後輩にするのは辞めような!』って誓い合ったのに・・・、2年になり、3年になると同じように行なう! これを皆・・・ 『伝統』という。。(?_?)
残念ながら・・・??、、『私』は、怪我(鎖骨を2度連続で骨折)をしてしまい、2年生になる前に柔道部を“退部”してしまったので、、この『伝統』に侵されないですんだのですが、同級生には『お前もったいないなぁ』って言われたなぁ。。
それでも・・・『後輩』を良い意味で・・・“可愛がる”もの!という『意識』が固まったのは、この時期である事は間違いないね(+_+)
今では、、柔道をこよなく“愛して”いる『私』がいる事を書いて、、一応『ペン?』を置きます。。この続きはまた、、次回という事で・・・。。