知識は使ってこそ技術になる 2

コンディショニング・ケア 道標 と ふくろうスポーツ館 での・・・
健康づくり&介護予防・介護リハビリ の 記録!

柔道一直線・・・

2011-05-17 19:23:51 | 日記・エッセイ・コラム

お疲れ様・・・ コンケア道標の萩野です! m(__)m

今日は、、仕事の打ち合わせでドゥ・スポーツプラザ 南砂に行ってきました!

http://www.dspnet.co.jp/

東西線南砂町のSUNAMOの中にあるのですが・・・ そこには、、

教え子『やすひさ』君がABCマートにて勤めています。。

やすひさ・・・ コメントありがとうね。。確かに『ガッカリ、、(-_-;)』な結果ではあったが、、、良い刺激ではあったよ。。\(^o^)/  ぜひ、、来年は都合を合わせて一緒に参加しようよ! 今日、南砂に行った時に『ABCマート』に寄ったけれど、、いなかったなぁ。。(>_<) まぁ、6月から毎週金曜日に行くので、また会いに行くよ!(^O^)/

そして・・・

打ち合わせに行ったらば、、6年前まで契約していた現在は“コナミ五反田”になっていますが、その前は“ニッセイエグザス五反田”だったのですが、そのクラブ時代にお世話になった“八巻”さんに約10年ぶり位に逢い、また一緒に仕事をするという事で、業界の狭さと人生は狭いところで環っているなぁ・・・と思いました。。(@_@)

今日は・・・

5月5日に書いた『幼少期時代』の続きを書いてみたいと思います。。

私は、小学校の2年生か3年生位のころから『柔道』を始めました。。 基本的に“耳が悪く(当時は気づきませんでしたが)”反応が鈍い“いじめられがち”な『私』は『強くなりたい!』という“希望”というか“夢”を持っていました。。  その当時、流行っていたテレビドラマ“柔道一直線”の主人公に憧れ・・・『柔道やりたい!!<(`^´)>』ということばになって現れました。

しかし・・・ 柔道というスポーツはひどく『地味』な運動でした。。(-"-)

来る日も来る日も、、『受け身』中心。。運動は嫌いではなかったですが、、不器用な私は『技』の上達も遅く、、『なんだ?二段投げは??地獄車は???出て来ないの(?_?)』という感じで、急速に『冷めていく』感じでしたが・・・、自分から『やりたい!』と言って始めた手前、親は簡単には辞めさせてくれません。。(+_+)

すると・・・

からだというのは良く出来たもので、、柔道の練習日になると本当に『腹が痛い!』となるわけです。。そういう子どもは今でもいるでしょうから・・・、擁護する為にも強く言っときますが、、これは決して『嘘』ではありませんし、、『仮病』でもなく?(ここは微妙)、、本当に『お腹』が痛くなるのです。。『仕方ないねぇ!寝てなさい。。<`ヘ´>』と親に言われ、、ベッドで寝ているのですが、不思議な事に柔道の練習時間が過ぎると『ケロッ』と痛みがとれるのですから、、不思議です・・・。(?_?) これが、、“ストレス性”という奴なんですね。。( ..)φメモメモ 困るのは、、『腹』が痛いと言って休んだので、、美味しい“オカズ”は食べられず。。。『おかゆ』さんのみ、、というのがちょっと辛い (-_-;) だってその時は『元気』なんだから・・・。。( 一一)

そんな『私』でしたので、、小学校時代は『強く』なる訳もなく。。。逆に『おまえ生意気に柔道やってんだって!?』と言われ、『俺と勝負しろよ!』と、“でかいからだ”して、、振り回される始末です。。(T_T)

それでも・・・中学でも柔道部に一応入ったのですが、、『胃潰瘍(ストレス性)』になり直ぐに辞めてしましました。。

中学に入り、『俺は耳が悪いんだ!』という事に気づき、2年生の時に“良い友達”に出逢い、自分を“出す”トレーニングができ、性格も表現も明るくなった時に、地域の運動会に駆り出されました。その時は、、脚が速かったんですね。。(100mを12秒4で走っていました)それを見た同じ地域に住んでいた『工学院大学高等学校』の柔道部顧問と私の中学校の柔道部の顧問が『国士舘』を通じた先輩・後輩の関係だったんですね。。それで『おまん、柔道やらんか?』とスカウトされました。。

中学校3年の時は、、なぜか??大活躍で。。神奈川県央地区で3位に入る活躍までし、、県大会にも出ました。。(?_?) 

そして・・・ 高校進学時、、スカウトされたという『経緯』を知らなかったので、脚の速さに多少の自信のあった『私』は、『高校でラグビーをやりたい!』と思い、当時神奈川県では強かった“相模台工業高等学校”を志望していましたが、『おまえは“工学院”!』と言われ、『推薦が来てんだぞ!勉強しないで入れるんだ!工学院に行け!!<`ヘ´>』と先生方に言われ、なんか『理不尽(この言葉もわからない阿呆でしたが・・・)な!<`ヘ´>』という感覚を持ちながら“工学院高等学校 工業化学科”に進学しました。。まぁ、当時の工学院は普通科は入るのが難しい偏差値も高かったですが、、工業科は“誰でも行ける明るい学校”ってな感じでした・・・。

まぁ、、そんな感じで工学院に進学しましたが・・・、柔道部は強烈だったなぁ。。

当時は、、『ヤキ』『シゴキ』ってのが当たり前の時代だったので、練習が終わり、トレーニングで体育館の“たか~~い”天井から吊るしてあるロープを登るトレーニング!中学卒業したて(同好会だよ!)の『俺達』に筋力なんてある訳もなく・・・ それでも・・・

『こらぁ~、なにやってんだぁ~、脚使うなぁ!手で登らんかぁ~<`ヘ´><`ヘ´>』と下から怒鳴られ、なおかつ・・・下からロープを振り回される始末。。“必死”で昇降し、降りた時には『摩擦』で手の平が“火傷”状態です。。(T_T)

そして一通り終了すると・・・ 道場に帰って、、『正座』と言われ、板の間に3年が帰ってくるまで正座して待つ。。いつ帰ってくるかわからないから、、崩す事も出来ず、、、3年が帰って来た時には『痺れ過ぎ・・・感覚なし』状態で、そこから、、一人ひとり説教言われ、、竹刀で叩かれ、腹にけり・・・後に倒れる!という流れで、、直ぐにまた座り直したいけれども・・・ 足が痺れ動かないので、『生まれたての子午と下手糞なバレリーナ状態・・・』でまた・・・ドヤサレテ。。(T_T)

そして・・・ 一通り終わったら、、腕立て、スクワットのシゴキが待っていて・・・ (T_T)

仕上げに・・・ 『スッポンポン』で生まれたまんまにさせられ、、余興やれ!と・・・(T_T)(T_T)(T_T)

こんな感じで・・・柔道が嫌いになったなぁ。。

それでも、、続けて、、一番理不尽だと思ったのは、昼食も道場で食べるんだけど、、3年は神様だから“投げ込みマット”で弁当を食べ、2年生は畳の上、、1年生は見張りを兼ねて玄関脇板の間で弁当を食べる・・・ すると、、3年の『おい!』という声と共にダッシュでマットに向かって走り、正座。。すると『串カツ買ってこい!』と出されたのが、500円と殴り書きした“紙切れ” (@_@) 『嫌!』とは言えないので・・・、泣く泣く、、自分で500円出して串カツ買ってくるという。。。(T_T) この理不尽さ! これが『高校スポーツ界』の現実だったなぁ。。

現在は・・・ だいぶ変わったであろうが、、スポーツ系の教え子に聞くと似たような印象も多いです。。嘆かわしい事だな(>_<)

当時、、先輩達を送り出し、、、八王子駅の通路で、1年生ばかりが集まり、、、『俺達が3年生になったら、こんな理不尽な事を後輩にするのは辞めような!』って誓い合ったのに・・・、2年になり、3年になると同じように行なう!  これを皆・・・ 『伝統』という。。(?_?)

残念ながら・・・??、、『私』は、怪我(鎖骨を2度連続で骨折)をしてしまい、2年生になる前に柔道部を“退部”してしまったので、、この『伝統』に侵されないですんだのですが、同級生には『お前もったいないなぁ』って言われたなぁ。。

それでも・・・『後輩』を良い意味で・・・“可愛がる”もの!という『意識』が固まったのは、この時期である事は間違いないね(+_+)

今では、、柔道をこよなく“愛して”いる『私』がいる事を書いて、、一応『ペン?』を置きます。。この続きはまた、、次回という事で・・・。。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
驚きました、何から何までシチュエーションが酷似... (鉄人ホラー)
2013-01-26 12:05:55
驚きました、何から何までシチュエーションが酷似していたので書いてるのは僕ではないか?と親友の松井が間違えるのも無理もない。私は相模原在住、当時の工学院柔道部の監督は通称『クマ』。周りは中学から柔道をやっていた柔道エリートばかりで、未経験で柔道部に入部したのは僕だけでした。下北沢から来てる柔道エリート松井と入部後、親友になるのはさほど時間はかからなかった。ここで、松井に恨み言を言わせて貰う、『先輩は優しいぜ・・・』という口車に乗せられて入った柔道部。100%真逆じゃねえか!ふざけるな!。来る日も来る日も受身ばかり、そして先輩のヤキばっかり、海老のような蟹のようなよくわからん準備運動ばかり、柔道がとことん嫌になった。しかし、強かった工学院柔道部。支部予選は優勝は当然、都大会ではベスト4も当然、士館相手にも一歩も引かない本当に強い先輩だらけだった。あの道場での真夏の地獄のような合宿、千葉県木更津の複数高合同合宿よく耐えれたなあと、今ではよい思い出です。先輩に何かやれといわれ歌を歌わせられたり、踊らせられたり・・・笑えます。僕は、ロープが登れなくて、数ヵ月後やっと登れるようになってもやはり急降下だから手のひらは火傷しますね。僕も2回立て続きに鎖骨を折りました。1年続いた柔道部、その後やめて、非行に走り不良の仲間入りを果たし、今は某広域組織で現役ですは全くのホラーです(笑)。工学院は不良が多かったですね、柔道部をやめて、女の子と遊ぶようになり、DISCOに行き、単車に乗り、喧嘩をし、集会に出て、シンナーを吸い、ありとあらゆる青春の形、柔道部にいたら考えられない不健康な時間を積み重ねて。大人になり思うこと、続けることは絶対大事。しかし、経験は無駄にならないから、途中リタイヤでも苦手意識、劣等感100%ばかりで腐らないで頑張ること。頑張れる自分を信じること。たまに、覗きに来ます。
返信する
本日もコメントを書かせてもらいます。 ()
2011-05-18 20:52:12
本日もコメントを書かせてもらいます。
19か20才の頃に一緒に通った町道場で、君が元、全国大会に出ていた人とけっこう良い乱取りをしていたのを思い出します。
家の中学3年の息子が、最近やっと1級を取りました。
小学校の3年か4年からやっているのに、未だに嫌々行っています。
決してイケイケではない、心優しいタイプなので格闘技向きではないとは思うのですが、部活が運動部でないなら、せめて週一回位身体を動かせ!とやらせています。
親としては、プラス受け身が取れたり、人に物理的に嫌なことをされそうになった時に、基本は走って逃げろだけれども。
最悪でも身を守れる自信が持てればなを良いなあと考えています。
嫌がって行っても真面目なので、練習した回数(年数)分は上手になっています。
結果として本人も含めてやって良かったね!と言えるのは何時になるかは分かりません。
ただ自分で良かれと思うことを、子供を見ながらやっていくしかないのではと思っています。未来の子供に聞かれた時に、『結果として間違ってたらごめんね!だけど親としてはベストは尽くした』と言えるようにする位しかないかなと考えています。
今回のコメントに相応しい文書なのか分かりませんが、書いてみました。 昭
返信する

コメントを投稿