☆サービスポイントが180ポイントを超えたので、久し振りに安いレイトショーではなくて、公開日の第一回目上映のMOVIX昭島に『KIDS』を観に行きました。
いつもの娘っ子と行ったのですが、二人で観ても、まだもう一回タダで観れるんだよね~^^
明日にでも、違う作品を一人で観に行こうかなあ^^
しかも、ポイントで観る時には、ポップコーンも貰えるんだよね^^
# # # #
『KIDS』は、綺麗にまとまり過ぎている感もあるが佳作と言えた。
極力、物語上の分かりにくい点を排した散文的な造りであった。
「散文的」とは、「説明文」のように思われて、悪い意味に取れてしまうかもしれないが、私はほめ言葉で使っている。
変に文学的な装飾を施して、訳分からない作品になるよりは、散文的に物語を追わせてくれたほうがよっぽど楽しい鑑賞が出来る。
小津安二郎の作品なんて、全てそうだ。
# # # #
主演は3人。
他人の傷を自分に移し変える超能力を持つ主人公アサトを、一昨年、『ラブコン』という傑作で、私の心を鷲摑みにした小池徹平が演じている。
街の一匹狼で、アサトと親交を深めていく不良タケオを、玉木宏が演じている。
イジメにあった経験があり、やや引っ込み思案の娘シホを、美しすぎる栗山千明が演じている。
港町のアメリカンダイナーと言う、一つ間違えれば陳腐な舞台で、これまた一つ間違えれば臭くなる演技を、3人は名演技で頑張って持ち堪え、作品にリアリズムを生んでくれていた。
# # # #
まあ、私は男なので、小池君みたいな、可愛い優しい奴がいたら、イジメたくなってしまうのだろうが、そういう作品中の人物としては良かった。
今は、こんな男が可愛くてモテるのだろう。
玉木宏は、いそうでいない、あくまでもぶっきら棒な、それでいて優しい不良を迷いなく演じていた。
とても、格好いい。
栗山千明は美しく、ただ、私は、ちょっと痩せすぎだろうと心の中でケチをつけつつ見ていた。
作中のシホは、過去のイジメで、唇に目立つ傷を残していた。
それもあって、常にマスクをしていた。
だが、タケオが「直すな!」と止めているのに、優しいアサトはその傷を取り去ってしまい、若いシホは、アサトとタケオの元から、にぎやかな都会へと出て行ってしまう。
その、シホが港町を出て行ってしまう心理描写は、言葉ではあらわされない。
シホが海を見つめる、その目の演技で、町を捨てる決心に至るだろうことが見ているこちらに伝わるのだ。
なかなかうまい演出、と思った。
# # # #
アサトにもタケオにも、それぞれの過去の事情がある。
アサトは、刑務所に入っている母親に面会する。
十数年ぶりかの再開だ。
アサトは期待に胸を膨らませる。
その頃、都会に出たシホは、とある店先で、アサトとの思い出の人形と同じ物に視線を合わせる。
シホの心に、アサトやタケオへの想いがよぎる。
見ている私らは、ここで、アサトが母親と明るい再会を果たし、そして、シホが港町に帰ってくることを期待する。
しかし、それは無残に打ち砕かれる。
母親は、アサトを「化け物」扱いし、シホは、しばしの逡巡のあとに都会の中に戻るのだ。
# # # #
そこから、傷心のアサトが家路につくときに、物語のクライマックスとなる。
大きな交通事故が発生し、アサトは、全ての被害者の怪我を自分に移し変えていくのだった。
タケオは、事故の発生を聞き、予感がして現場に走る。
そこには、ズタボロの、オスカー・ワイルド著『幸福の王子』の如き、瀕死のアサトがいた・・・。
# # # #
原作者は、最近の人気作家・乙一だそうだ。
私は、その作品は『ジョジョの奇妙な冒険』のノベライズ『ザ・ブック』しか読んだことがない。
なかなか面白かった。
乙一は、『ジョジョ』の作者・荒木飛呂彦からの影響を常々語っている。
この、クライマックスのハイウェイでの大事故も、『ジョジョ 第三部』のエンディングを彷彿とさせた。
そもそも、アサトの超能力も、『ジョジョ』のスタンド(超能力)っぽい^^
# # # #
『KIDS』は、日常に一つの超能力が紛れ込んで、物語が展開していく。
『デスノート』も、日常に一つの不思議な道具が紛れ込んで、話が進んでいった。
超能力も、不思議な道具も、例えば『ドラえもん』などなら、毎回、使い捨てられていくものである。
最近の物語潮流では、現実の社会(世界)の中、こんな超能力があったら、世界はこのように対応(変化)していくのだろうと言う<リアル・シミュレーション>的な使い回しをされるのが流行のようだ^^
(2008/02/02)
いつもの娘っ子と行ったのですが、二人で観ても、まだもう一回タダで観れるんだよね~^^
明日にでも、違う作品を一人で観に行こうかなあ^^
しかも、ポイントで観る時には、ポップコーンも貰えるんだよね^^
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『KIDS』は、綺麗にまとまり過ぎている感もあるが佳作と言えた。
極力、物語上の分かりにくい点を排した散文的な造りであった。
「散文的」とは、「説明文」のように思われて、悪い意味に取れてしまうかもしれないが、私はほめ言葉で使っている。
変に文学的な装飾を施して、訳分からない作品になるよりは、散文的に物語を追わせてくれたほうがよっぽど楽しい鑑賞が出来る。
小津安二郎の作品なんて、全てそうだ。
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主演は3人。
他人の傷を自分に移し変える超能力を持つ主人公アサトを、一昨年、『ラブコン』という傑作で、私の心を鷲摑みにした小池徹平が演じている。
街の一匹狼で、アサトと親交を深めていく不良タケオを、玉木宏が演じている。
イジメにあった経験があり、やや引っ込み思案の娘シホを、美しすぎる栗山千明が演じている。
港町のアメリカンダイナーと言う、一つ間違えれば陳腐な舞台で、これまた一つ間違えれば臭くなる演技を、3人は名演技で頑張って持ち堪え、作品にリアリズムを生んでくれていた。
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まあ、私は男なので、小池君みたいな、可愛い優しい奴がいたら、イジメたくなってしまうのだろうが、そういう作品中の人物としては良かった。
今は、こんな男が可愛くてモテるのだろう。
玉木宏は、いそうでいない、あくまでもぶっきら棒な、それでいて優しい不良を迷いなく演じていた。
とても、格好いい。
栗山千明は美しく、ただ、私は、ちょっと痩せすぎだろうと心の中でケチをつけつつ見ていた。
作中のシホは、過去のイジメで、唇に目立つ傷を残していた。
それもあって、常にマスクをしていた。
だが、タケオが「直すな!」と止めているのに、優しいアサトはその傷を取り去ってしまい、若いシホは、アサトとタケオの元から、にぎやかな都会へと出て行ってしまう。
その、シホが港町を出て行ってしまう心理描写は、言葉ではあらわされない。
シホが海を見つめる、その目の演技で、町を捨てる決心に至るだろうことが見ているこちらに伝わるのだ。
なかなかうまい演出、と思った。
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アサトにもタケオにも、それぞれの過去の事情がある。
アサトは、刑務所に入っている母親に面会する。
十数年ぶりかの再開だ。
アサトは期待に胸を膨らませる。
その頃、都会に出たシホは、とある店先で、アサトとの思い出の人形と同じ物に視線を合わせる。
シホの心に、アサトやタケオへの想いがよぎる。
見ている私らは、ここで、アサトが母親と明るい再会を果たし、そして、シホが港町に帰ってくることを期待する。
しかし、それは無残に打ち砕かれる。
母親は、アサトを「化け物」扱いし、シホは、しばしの逡巡のあとに都会の中に戻るのだ。
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そこから、傷心のアサトが家路につくときに、物語のクライマックスとなる。
大きな交通事故が発生し、アサトは、全ての被害者の怪我を自分に移し変えていくのだった。
タケオは、事故の発生を聞き、予感がして現場に走る。
そこには、ズタボロの、オスカー・ワイルド著『幸福の王子』の如き、瀕死のアサトがいた・・・。
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原作者は、最近の人気作家・乙一だそうだ。
私は、その作品は『ジョジョの奇妙な冒険』のノベライズ『ザ・ブック』しか読んだことがない。
なかなか面白かった。
乙一は、『ジョジョ』の作者・荒木飛呂彦からの影響を常々語っている。
この、クライマックスのハイウェイでの大事故も、『ジョジョ 第三部』のエンディングを彷彿とさせた。
そもそも、アサトの超能力も、『ジョジョ』のスタンド(超能力)っぽい^^
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『KIDS』は、日常に一つの超能力が紛れ込んで、物語が展開していく。
『デスノート』も、日常に一つの不思議な道具が紛れ込んで、話が進んでいった。
超能力も、不思議な道具も、例えば『ドラえもん』などなら、毎回、使い捨てられていくものである。
最近の物語潮流では、現実の社会(世界)の中、こんな超能力があったら、世界はこのように対応(変化)していくのだろうと言う<リアル・シミュレーション>的な使い回しをされるのが流行のようだ^^
(2008/02/02)