日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* ブログ再開・・まず帰省のことから・・・ *

2009年08月21日 | 雑感

 

後十日ほどで、八月も終わろうとしている。 早い、実に。
休もうとしていたわけではないのだが、草稿中ばかりで留めたままでなぜか投稿できなかった。
おいでいただいていた方には、何の報告もせずに失礼なことをしてしまって申し訳ないと反省している。
苦手な夏、少々繁忙な我が家ゆえ小休止致します、とでも書いておけば良かった。 
猛暑に加え、水害やそして夏だと言うのに新型インフルエンザ再来・・あちこちで異様な風が吹いている。



父の三十三回忌法要で帰省していた。 法事は父の命日である八月十一日にあわせて行われた。
一昨日、やっと本当にやっと夫や私の実家へ、お礼状と過ごした時間を追った写真を綴じて送った。
今や間違っても簡単に消去し書き直しがきくメールの生活に慣れきっている私に、間違えばもう一枚、
また一枚と何枚でも書き直さなければいけない手書き便箋が苦手である。
昔は筆まめ・・って言われたこともあったのに、ペンを持つのがおっくうとなり、文字は随分と退化していて、
愕然としているがお世話になった事柄は、電話だけではお礼が足りなくて。

実家の兄嫁さんが、お正月以来何度か電話で問い合わせて下さっていたが、このたび両親を根に
家系図なるものを作成、各家庭に配ってくれた。 
兄嫁さんは今、こんな事柄や写真編集などパソコンのワード仕様にはまっているようで素晴らしい。
亡き父、86歳の母を頂点に五人兄弟、そしてそれぞれの子や孫の誕生日や結婚記念日、干支が書かれてある。
表裏に書かれた三十五名のそれらは、宝物をもらったようで嬉しい。 心が繋がっていればこそ出来た事。
現在三十五名なり。  仕事で帰省出来なかった男子組も多いが、法事には孫を含め二十三名が出席。
我が家は私たち夫婦と、長女、長男のお嫁さんとひろと、次女となつめとかんたの八名が出席。
叔父や叔母は老いや他界されていたりで、昔良く遊んだひとつ上のいとこが一人出席で後は全て家族だった。



お寺のお参りから帰ったときに、結婚して一年ほどの甥っ子たちのお嫁さんが、兄嫁さんのもとで二人仲良く
お刺身の盛り付けに一生懸命の様子を見たとき、(あぁ・・若く新しい家族やわ)そんな光景に感動した。 
甥っ子たちにはそれぞれ今年は子供も出来て、兄は一気に二人の孫に囲まれなんと安泰な実家であろうか。 
親子四世代同居、普通なら煙たがられても仕方ない存在ではあるが、若いお嫁さんにも大事にしてもらい、
「至れり尽くせりで、こんなに幸せなことはないよ」といつも感謝いっぱいに語る母。 
私にも子や孫のいる現実、これからの人生がそんな感謝で過ごせたらと、希望が湧いてくる。 

こんな和やかな法事、温かい法事・・(これが家族と言うものなんや・・両親の作り上げた)私には感激だった。
父もきっと喜んで、みんなの笑顔や語らいを眺め聞いていたに違いない。
 
翌朝早く、こそっと起きて庭の花を眺めたり海へ向かい歩いた。

背後の何年か前の大火で焼け爛れていた山々には緑が増してきて、海はゆったりと波をはいていた。



子供の頃泳いでいた海、新しく出来た場所もあれば昔のままの石垣の部分もあって懐かしさが込み上げてくる。


昨日の法事の兄弟姉妹、五人の家族同士の語らい、にぎやかで和やかな法事のその時を思い出しながら、
子供の頃からの時々のシーンや生きてきた過程が、ゆっくりとスライドショーになって現れた。
その中には父がいた。 生きていたら90歳・・無理か・・。 (お父さん、見た? 法事にぎやかやったやろ)
船乗りだった父をのんだ海ではあるが、広くやさしい瀬戸の海にはやはり父の姿を感じてしまう。
(いい感じやない? お父さんとお母さんが生み育ててくれた子供たちで出来上がった家族やで)
と言っても還暦を待たず他界した父、母や兄夫婦の影響が大なのではあるが。 
兄弟が多いと昔からそれだけに苦労はあったと思うけれど、にぎやかで本当にいいものだなぁ。

それぞれの家庭では、様ざまな事柄を乗り越えての今日ではあるけれど和気あいあいこうして会えたということは、
何よりも得がたくて、こんな関係がずっと続いてみんなが仲良く生きていけたらどんなにいいだろうか。
こんな家族関係を、子供や孫たちにも流していく風上にいる私たち。



朝、母と洗面で一緒になった。 
法事が無事終わり安堵で疲れも出ているであろうが泊り客がいるので気をはっているようだ。
ちゃちゃっと顔を洗った母が出て行った後、水道の水が止まっていなかったが母は気づいていない。
兄嫁さんにその事を言うと「そうなんよ」と。 毎日暮らしているので細かなことでも見逃していないばかりか、
老いを増したと感じる事柄の全てを受け入れながらの日常。 これから尚どんなに大変であろうか。
介護の仕事で夜家をあけることもある兄嫁さんには、お嫁さんが看護士と言うそんな息子夫婦との同居は、
どんなに心強いことであろうか。 何もできない私であるだけに、(実家って出来すぎやない?)嬉しく思う。
帰省早々三十九度熱を出した授乳中の次女、病院の手配やら速やかな対応や言葉看護士さんに感謝。
 



法事の夕方姉が息子とUターンで京都へ帰るとき、庭での全員写真や母と五人の子供たちで撮った写真、
とてもいいのが出来て、プレートに入れて送ったが母はこの写真を電話の向こうで涙ながらに喜んでいた。 
「四人も娘がいてるけど、年とったお母さんが一番美人じゃね!」本当にそう、幸せ満面の顔写真である。
母にしたら滅多と揃うことのない子供五人とのショット、八十六歳の今を思うとよけいに感激したようだ。
姉や妹たちにも送ろうとセットしてあるが、あぁ・・また手紙を書かないといけないわ。

法事の翌日のお昼前、笑顔いっぱいの実家の家族九名に見送られ車で十五分ほどの夫の実家へ向かった。