朝食をしながら、もしくは終わった後に「今晩何しよ」と娘が言う。 必ず言う。
今晩・・の意味は、「今晩の献立は、何にしよう」なのである。 それは私のせりふだった。
女は毎日毎日・・とまではいかないにしても、一年中献立を考えなくてはならない。
時に朝食のおり男たちに「今晩何が食べたい?」と聞くが、食べているときにそんなこと考えられないと言う。
本当はリクエストをもらうと楽なのだが、時々展君が食べたいものを言ってくれるからそれは大いに助かる。
おなかがいっぱいでも女はそうはいかない。 ジャーのご飯の具合、冷蔵庫の中身を頭に浮かべ、
二、三日前の献立を思い出し、五軒のスーパーのチラシを眺め「今日はこれにしよっか」と買い物に行く。
同居した時分は「今晩何しよ」の私の口ぐせを「主婦って毎日大変なんやね」次女は言ったものだったが。
同居3年今や娘の口ぐせになっている。 最近は私より先に、頭の中に今晩の献立を考えているようだ。
暗黙の了解で、作るのは私だったり娘だったり。 娘が料理をどんどん覚えてきた。
ネット検索クックパッドで料理を見つけては、「おやじが喜びそう・・とか、展が喜びそう」とか言いながら作る。
それも私のせりふだったのに。 世代の交代と言うのか、成長と言おうか。
味付けも私と同じようになってきた、または(ん? 私より美味しい!)と思うときもある。
そのうち越されるのだろうなぁ。 「やっぱり母さんでないと」そんな自慢料理もだんだんと消去されるのか。
言われればひょいひょいと作る私なのだが。
最近私より先に言う「今晩何しよ」そんな娘の言動を、内心嬉しく思いながら「ふ~ん」と眺めている。
旦那を家庭に引き止めるには、料理が一番!等と昔聞いたことがあるし。
25日はお酒が飲めなくて珈琲をこよなく愛した義父の月命日、この日は写真に珈琲を必ずお供えしている。
もう30年になるが、数回くらいは忘れて後で気づき、夜か翌日にお供えしたことがあったと思う。
25日夫を見送った後次女に「母さん、今日はおじいちゃんの月命日やない?」 忘れていた完全に。
いつも一番に供えるのに慌てて珈琲をお供えした、アイスで。
急に涼しくなったから「ホットがええのう」義父は笑いながら、そう言ったかも知れない。 来月が祥月命日。