日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* しゃぼん玉 飛んだ 屋根まで飛んだ・・・ *

2011年09月23日 | 花や木

覚えておいでだろうか、8月4日 ”しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた” の記事を書いていたのを。
写真はそのときのである。

あの時の得体の知れない茎が長くて花が大きいであろうと思われた白い朝顔。 この夏の間ずっと見守り続けていた。
(明日は咲くかな・・咲きそう!)と八分まで開いたりしても朝見ると少し変色してぽとりと落ちている状態だった、いつもいつも。
ある時は今にも全体が開きかけ(明日は絶対やわ!)わくわくしながら期待して起きたら、ぽきっと折れていた。
そんな風に何度もそれを繰り返したので、落ちた姿は哀れに思えて正直見るのが辛かった。
同じ朝顔に生まれて来ても、ピンクや青や様々な色模様を描いて目を楽しませてくれる朝顔ばかりなのに。

最近になって気付いた。 この朝顔は茎が太くて葉っぱが他と違い大きくて、カーテンを覆うのにふさわしい品種だった。
(あぁ・・これはきっと咲くのが使命でなく、葉っぱで覆うことが使命なんじゃないだろうか) 自分なりにそう思った。
(可哀そうだけれど、一番の目的である暑さを凌いでくれて ありがとうね~あんたは金メダルもの)と、そう思うようになった。

台風15号が去ったあと一気に涼しくなった。 エアコンがピタリと止まった、気温差に戸惑うくらいに。



朝起きると屋根の波板に繋がったグリーンカーテンの棚の端っこからぐっと背伸びして、外に向かって咲く朝顔、
どんな色が咲いているかどれだけ咲いているのか眺めるている朝、空の青に咲く花のなんて清々しいこと。 



時は6時40分ころ。 思わず心が躍った、衝撃! あの朝顔が咲いているではない! 
(わ・・すご~い!!咲いてる咲いてる・・初めてじゃん)
背伸びをしてグリーン棚を覗きながらじーーっと眺めた、笑顔のなっている自分が分かる。 
(涼しくなったからかな・・大きな葉で覆ってくれて涼しくしてくれる役目だったのかなって感謝したからかなぁ・・)
なんだか生まれた我が子を愛おしむようなそんな感情に浸った、うっすらと涙さえ浮かんだ。
だって余りにも儚い姿で落ちていたもの、咲ききれずに。

即効夫を呼んだ。

{お父さん!お父さん!  咲いてるよ! 咲いてるよ、あの白い大きいの!}



家でも話題にしていたので、夫もすぐに見に来た。 「おーーすごいなぁ、すごいすごい。 何センチあるんやろうか」
15センチほどあった。 暑かったから耐えられなかったのかな、涼しくなってなんとか花が持ちこたえられるようになったのかな。
残り朝顔は、色んな色で真夏よりもいっそうきれいに咲いているような気がするもの、ほっとしたように。



しかしお彼岸さんに咲くなんてね、清らな大輪の白はまるでそれは浄土の花のような、(そうやわ、きっとそう)
それにしても9時前にはもう花がしぼんでいた。 どれだけの時間咲いていたんだろう、「朝、一瞬なんやなぁ」夫が言った。
不思議な花である。 買った種の中に交じっていたのだろうか。 種の袋の写真にはこの種類は無かったもの、不思議。
私はこんなとき良く考える。 これは私に何を教えるための出合い何だろうかと。

飛ばずに消えた・・のしゃぼん玉の歌 野口雨情さんが生まれてすぐに亡くなった子供さんを忍んで作ったこの歌、
花を見ながらそれと重なったけれど、新聞にある時まで東北大震災の不明者や亡くなった名簿を日々追っていたとき、
ひと桁台の子供の名前を何度も見ては胸が詰まった。 若い人、働き盛りの人にしても同じだけれど・・
咲かずに消えた花、毎日毎日・・やはり追悼とそして今を感謝しなさいよ・・もっと感謝しなさいよ・・そんな・・。

そんな中でもなんだか嬉しくて、娘たちの引っ越し準備の荷物整理をしながら心の中で歌っていた、何度も。

♪ しゃぼん玉 消えた 飛ばずに消えた・・ではなく ♪ しゃぼん玉 飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んでこわれて消えた・・

* しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた * にコメントでいただいていた

>大きな朝顔・・・ある朝、咲いていたら、
>感動の渦に、のまれてしまいますね。 (^^)

そう・・そんな感じ。