ミキ・メリーさんをはじめ、あいさんにご縁のあった方たちの誠のお陰さまで、また詩集を作ることが出来るようになった。
あいさんのご主人様がCDーRを送って下さったのだ。
あいさんのブログを制作されていた方が亡くなられたのを知り、恐らく更新はされないだろうと思い、
残されたご家族お身内の為にCDーRにコピーして送ってこられたのだ。
あいさんのブログが読めた! あの透き通るような、素敵なあいさんの朗読の声が聞けた!
大きな感動だった。 消えたショックが大きかっただけに、喜びは何倍も。
月命日には間に合わなかったけれど、今日28日のあいさんの誕生日に間に合った。
「10冊でも充分に有難いですから」 そう言って下さっていたご主人さまから、喜びのお電話をいただいた。
11冊目が届いたと聞かれた義妹さんからも、メールが届いた。
「携帯に毎年繰り返し設定していた義姉の誕生日のお知らせチャイムが、元気でいた頃と同じように鳴って切なくなりました。
生きて58歳を迎えられなかったことが残念でなりません」と。
私があいさん亡き後も詩集を作らせていただいているのは、あいさんが入院されていたとき病名を知っていたので、何か彼女に
喜んで励ましになるものはないだろうかと考えた時、(そうだ、彼女の写真詩集を作らせてもらおう)そう思ったのである。
「あいさんのブログの詩を追って詩集作るからね」そう約束をしていたのである。
病床の彼女は「無理しないように、まだまだ私は大丈夫元気だから、ゆっくりね」そう言って私を気遣ってくれていた。
あいさんへはもちろん全部届けられなかったが、あいさんのメッセージをご主人さまをはじめあいさんの仲の良いお身内の方に
偉そうかもしれないが詩集を辿りながら寄り添って生きて頂けるとしたら・・そうでなければこの詩はもったいなすぎると思ったから。
まだ2年はゆうにかかると思う。 けれど、あいさんに縁のあった私は詩の橋渡しをする役目かも知れないと思っている。
あいさんの広くて深くてやさしい決して求めない無償の愛が、色々な人々の心を繋いでくれたのだろう。
「義姉の作った色んなご縁が、今となっては義姉と私たちを繋いでくれている。 この出会いは必然だったのでしょうね」と義妹さん。
私もそう思っている。
この場をお借りして、お心を遣って下さったミキ・メリーさんにも心から感謝致します。
何気にはじめモカにしていた表紙、11作目から20作目まではイエローに変えることにした。
11作目のあいさんの詩より
~ 身の丈 ~
先に 向けた
視線が ぼやけて来たら
足元を みる
今 自分が
どの位置に 立っているのか
立っている 自分を
支えて くれているものは 何か
自分を 取り巻く 環境を
もう一度
しっかり みつめ直す
じっくり みつめ直す ・ ・ ・ ・ ・ 2009年12月4日