いつもの日曜の朝の、ピンポーン~
夫の友人から届いた花束の中に、鮮やかなオレンジ色の”キンセンカ”の花があった。 キンセンカは初めてだった。
立杭焼の瓶に挿しながら(おばあちゃんが好きやった花やわ)と思った。 一気に思い出が甦った。
私は、姉、兄、妹二人の五人兄弟だけど、年齢もあると思うけれど、大のおばあちゃん子だった。
昔の事だ、何処へ行くのでも歩いていたが、祖母が出かける時は「行くー!」と必ずと言っていいほどついて行っていたと思う。
妹達の子守もしていたのに、祖母が出かける時は、郵便局であろうが、親戚の家であろうがついて行っていた。
時に祖母は私にわからないように、そっと隠れて家を出て出かける時も、それを見つけては、泣きながら走って追いかけて行った記憶もある。
門司の親戚へ汽車で行くときも、連れて行ってもらった。 仕方ないと、母を困らせた記憶が。
初めての祖母との旅、トンネルを通るときは窓をしめた気がする、煤で・・。もう、嬉しくて嬉しくて親戚へ行く坂道を覚えている。
祖母は用事以外は奥のお仏壇のある隠居部屋にいて、桐のタンスのいくつもの小引き出しには色んなものがあった。 ニッケや駄菓子やゴム風船や色々。
魔法のような隠居部屋に入るのは、子供の大の楽しみだった。 仏さんにお供えものをこそっと食べる楽しみもあったのだ。
私の右目の上の傷は、仏さんのお菓子を取ろうとしてガラスが割れて怪我したときの傷だと母に言われたことがあるが、気にしたことは全くない。
祖母はいっぱい、楽しい話をしてくれた。 それに、祖母はとても手先が器用で、孫達が劇をするとき等の衣装はなんで上手に作った。 誇らしかった。
麦藁細工や藁細工も、教えてくれ楽しんで作った記憶がある。 どこの家でもそうだが、親子三世代の家族形態・・古き良き時代の出来事である。
小学二年生の時だったと思う、祖母が病気で亡くなる前の日から、みんなが布団のそばに集まって見守っていた。
その朝、「千光寺の桜がみたいのう」と言いながら眠ったので、みんなが大丈夫だろうと寝床を離れた。 私は祖母のそばから離れずに、ずっとついていた。
本当に眠っているのかなと鼻に手をあてた。 息をしてないような気がして台所の母を呼びに行った。 チリ紙を鼻に持って行ったが、動かなかった。
その時の光景は覚えている。 亡くなったその夜、旅立つ白装束の祖母が夢枕に出てきた、額に三角のあれをつけて。 子供心に不思議で忘れられない記憶。
あの頃は土蔵だった。 親戚の人たちが囲む中で埋もれて行く祖母を、しゃがんで見ながら泣いた。埋めないで・と思った。
母が言っていた、「おばあちゃんはキンセンカが好きじゃった」 そうだったかなぁ。 田舎ではどこのうちでも庭にあったが、私は仏さんに備える花かと思った。
母は季節には良くお墓に供えていたなぁ。 器用で心が広くて人を想う優しい・・大好きだった祖母。
朝頂いたキンセンカで、懐かしく嬉しく思いだした。 花を頂かなかったら、きっと思い出の引き出しに収めたままだったに違いない。
そんな祖母の好きだったキンセンカ・・花言葉を検索してみた。 「別れの悲しみ」「寂しさ」「悲嘆」「失望」「悲恋」 なんだかなぁ・・。
楽しみは 懐かし祖母の キンセンカ みっちゃんと声が 聞こえたとき