年賀状の中に、思いがけない方からのが2枚あって、とても嬉しくまた衝撃ありで拝見したお正月。
1枚は同級生のKちゃん。 還暦旅行でバスの席が近くだったこともあって良くああだこうだしゃべった。
旅行のスナップ写真と全員を撮ってそれぞれにメッセージを入れたデジブックのCDを届けたのだが、返事が頂けなかった。
「送るね」と言っていたのだけど、「届いた?」と電話するのもなんだしとそのままにしていた。 忘れていた。
その彼女から、お礼で遅くなった事と、時々デジブック見ていますと言う文面だった。
(あ・・良かった、届いていたんだ・・) 印刷の年賀状が多い中で自筆の文字に気持ちが充分に届いてすごく嬉しかった。
もう1枚は・・(お! え~!なんと珍しい)って言うか40年以上は充分に会っていないT君(その当時はそう呼んでいた)からだった。
1枚の年賀葉書にびっしり細かいフォントで(1枚のスペースに伝えたい事をいっぱい詰め込む為の作)パソコンで書いていた。
が、気持ちはいっぱい伝わった。 だって印刷でみんな同じ祝詞のとは違って、私にしか出せない文面だったから。
高校を出るまで島にいた私、親戚への盆暮れの贈答は私の役目だった。
姉は私が小4のとき京都に就職していたし、兄は男だしうまいこと使われたのか、女と言う事で私が行かねばならなかった。
だから私は親戚の人たちやいとこたちと話す機会が多かった訳で、中学に入るまで家の集金もそう言えば私の役目だった。
人見知りで恥ずかしがりやの私には、この事はプラスになった事は言うまでもないがだからと言って、その性格は今でも変わらない。
夫のお兄さんとT君は同級生のようだが、年が5つ6っつしか違わないので、私といとこか位に思っていた。 理屈には合わないが。
身内では、今で言うイケメンだったので(申し訳ないかな・・今はかすかな記憶で・・何処かですれ違っても分からないかも・・)
法事と言えば母と行ったり、自分自身だったり、T君のお父さんとも良く話して、家のことも手伝ったりしたこともあったと思う。
このT君が大阪府下にお住まいでびっくり、そして母といとこだと言う事に2度びっくり。 いやそれだけではない、私たち夫婦の結婚式や
夫の勤める会社の事や、そして私たちがブロガーだと言う事までも知っておいでである。 2度びっくりどころではなかった。
わ~、私とでなく88歳の母といとこだったんだ~。 そっか、お兄さんと同級生なら、弟の嫁さんの事を聞いていてもおかしくはない。
私は昔から複雑な血縁関係の相関図みたいなのは大の苦手で、無関心だったし教えられてもすぐに忘れる方だった。
結婚した時、夫のお父さんから私のいとこのことを話されて「知らないです」と答えたら、「そう言う事はちゃんと親に聞いておくもんや」
注意された事があって未だにあの時のお父さんの姿も口調も覚えている。 嫁の私に真面目に大事な事を言ってくれて嬉しかった。
が、未だに親戚の詳しい相関図私は知らない。 亡くなっている人も多いが、母が生きているうちに聞いておこうと今回思った。
突然の1枚の年賀状、いとこ同士の子供って遠縁かも知れないが嬉しいではないか。
そして私の生きるテーマ、「出会いは必然」 この年賀状の驚きと喜びは何かしら、寒い冬に春の訪れの知らせ・・のようで、
私には一陣の爽風(こんな言葉あるんかい?)のように思えた。
返事の最後に、「お近くにお出での折にはどうぞお立ち寄り下さい、歓迎致します」と結んだような気がする。
会社に行く夫に投函を頼んだのが間違いだった。 カバンに入れたので(え?なんでカバンに入れるの?)と思ったが・・。
忘れていたのだ。 遅くなったお詫びと書き忘れた電話番号を書いて・・と思ったが出さなかったけど。
今夜は満月、冴えた空に煌めく冬の星座に交じって、白い月が煌々と輝いていることだろう。
普通なら三脚たててカメラで・・と言う所だが、歩行困難且つ気力なし。
今年、この1枚の年賀状が、何かしら新しい展開があるのではないだろうか・・そう思えている勝手な私。
夫の方が「T君、会うたら分かると思うで」 同じ地域ゆえそう言っていた。 大阪の空の下・・暖かさがふわっと加わった気がする。