日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 帰省のとき  その二 *

2009年08月25日 | 雑感

 

夫の実家へ行くと最初に目に入るのは、昔からあったオレンジの”のうぜんかずら”の花である。
そしていつもの花たち。 それに加え今年は朝顔の品種が色々あり、兄嫁さんの花植えが好きの心を感じる。
同時に庭は義母の部屋の目の前にあるので、多趣味だったのに出歩くことが少なくなった今、
花たちはきっと毎日、義母の楽しみになっていることだろう。

お昼時だったが次女は前日九度の熱で病み上がりなのに、夫や長女やひろとママと即効サンセットビーチへ。
普段はビニールプールの孫達、夫だけでは二人は無理だし、せめて少しでも本当の海で泳がせてやりたい
そんな親心で身体を押して水に入る姿若さはまぶしい。 私だってそんな頃はあったのよ~きっと。



夜は恒例のバーベキュー。 大人数ともなると食事も大変で、都会では味わえない庭でのBBQは楽しみである。
89歳義母にしてお肉は特に好物と言う、食べられると言う健康は一緒に住んでいない私には大きな安心だ。

それにしても帰省すると男兄弟4人が必ず揃う。 二年前まではお正月お盆と帰省中必ず4人でゴルフをした。
男一人の実家の兄は、延々と続く兄弟ゴルフをやっているそのことに、仲が良くて羨ましいと良く言っていた。
もう孫も出来所帯が増えると一泊で充分で、その分男四人飲みながら尽きない話和やかで気持ちがいい。

実家のちょっと硬い兄とは違って、義兄が気さくで型苦しくなく弟たちも長幼の序を重んじ見事な体系。
どちらにもそれぞれの良さがあり、硬さの中の礼儀は大切でもあり、郷に入っては郷に従え。
孫が出来て、ミルクを飲ませている兄なんて全く想像もつかなかったが本人はちょっと自慢げだった。
どうやら孫二人一気に出来た喜びや安堵で、これで程よい加減な丸みになるのではなかろうかと、
私は内心喜んでいる、にやにやと。 いや、厳格な父親に良く従った甥っ子たちもそれは感じていると思う。
しかしそれを言い聞かせてサポートしてきたその要は、やはり兄嫁さん。 その存在は大きい。

何しろ私たちは、そんな双方の実家が暖かいからこうして毎年気持ちよく帰らせていただけるのである。

翌朝またまた早く起きて近所散歩。 家の上の方向に歩く、いつものコースいつもの楽しみである。
まだ太陽の昇らないみかんの木やシュロのシルエット、この場所の風景が特に好きだ。
そんな深緑の中での花ニラやのうぜんかずら、フヨウ等の花色はとてもやさしい。

 

山を横切る西瀬戸自動車道の景色もまた、好きなポイントになっている。
いつもと景色は変わらなくとも、自分が過ごした日々は毎年違うわけで眺める気持ちはまた違う。 
飽きない景色・・好きだった義父の顔が浮かぶ。 結婚して4年ほどしか、過ごすことが出来なかったが。 

島なので、ふるさとイコール背後には山を、目の前には海を・・変わらないその風景はやはり一番落ち着く。
気候の精なのか、草いきれか・・蒸し蒸しとして汗が吹き出てくる。 
残念ながら朝日は拝めなかったが、淡いブルーの朝景色でも私は充分満足なのである。
朝食後ひろとママは散歩に。 孫たちにはたとえ草の一本でも楽しさの素材になる。
彼女の田舎鹿児島もこんな景色、孫たちがいっぱいの自然に触れる貴重な時間、目を輝かせて走る。
有難きかなふるさと、有難きかな兄弟たち。

帰阪する私たちと入れ違いに、大阪の夫の姉夫婦と姪っ子夫婦と子供チッチが深夜を走行し到着した。
歩き始めて可愛いさかりのチッチ、また一挙ににぎやかさが増した。




本当なら、一緒に一晩楽しみたいね・・と言っていたのだが容量オーバーで入れ替わりになった。
兄嫁さんは「いいよ」と言ってはくれたが孫を入れて十三人、団体さんである。 迷惑をかける。
本家は本当に大変、これだけの人の出入りをこなしていくのだから。
それにまだ孫のいない普段ひっそりとした家にその人数熱気たるや、義母は舞い上がり疲労困憊、
それにそれだけの人数が一気に引き上げても、また寂しさもひとしおだろうと思うと、これでよかったと実感。

十一時、去りがたい気持ちを残し大勢に見送られて帰阪の徒に。 一番寂しそうだった義母。
運転手の長女は熱で頭には冷えピタを貼り、無呼吸症候群で時折眠気の誘う夫のうつろな目が頼りなくて、
申し訳ないかな半分運転をしてもらったと言う申し訳なさ。 
夕方五時には、風景の全く違う家についた。  妊婦さんのひろとママのおなかも大丈夫でほっと安心。 
次女は回復、孫たちも元気だし。 あ~ぁ・・大阪や・・。 空気も景色も全然違う大阪や・・また大阪生活が始まる・・。
この後長女はダウン。 私に運転が出来たらね~、いやこの超ドンくさ人間、娘はもっと不安だったよ~。
双方の迎え入れてくれた家族に感謝! 

 


* ブログ再開・・まず帰省のことから・・・ *

2009年08月21日 | 雑感

 

後十日ほどで、八月も終わろうとしている。 早い、実に。
休もうとしていたわけではないのだが、草稿中ばかりで留めたままでなぜか投稿できなかった。
おいでいただいていた方には、何の報告もせずに失礼なことをしてしまって申し訳ないと反省している。
苦手な夏、少々繁忙な我が家ゆえ小休止致します、とでも書いておけば良かった。 
猛暑に加え、水害やそして夏だと言うのに新型インフルエンザ再来・・あちこちで異様な風が吹いている。



父の三十三回忌法要で帰省していた。 法事は父の命日である八月十一日にあわせて行われた。
一昨日、やっと本当にやっと夫や私の実家へ、お礼状と過ごした時間を追った写真を綴じて送った。
今や間違っても簡単に消去し書き直しがきくメールの生活に慣れきっている私に、間違えばもう一枚、
また一枚と何枚でも書き直さなければいけない手書き便箋が苦手である。
昔は筆まめ・・って言われたこともあったのに、ペンを持つのがおっくうとなり、文字は随分と退化していて、
愕然としているがお世話になった事柄は、電話だけではお礼が足りなくて。

実家の兄嫁さんが、お正月以来何度か電話で問い合わせて下さっていたが、このたび両親を根に
家系図なるものを作成、各家庭に配ってくれた。 
兄嫁さんは今、こんな事柄や写真編集などパソコンのワード仕様にはまっているようで素晴らしい。
亡き父、86歳の母を頂点に五人兄弟、そしてそれぞれの子や孫の誕生日や結婚記念日、干支が書かれてある。
表裏に書かれた三十五名のそれらは、宝物をもらったようで嬉しい。 心が繋がっていればこそ出来た事。
現在三十五名なり。  仕事で帰省出来なかった男子組も多いが、法事には孫を含め二十三名が出席。
我が家は私たち夫婦と、長女、長男のお嫁さんとひろと、次女となつめとかんたの八名が出席。
叔父や叔母は老いや他界されていたりで、昔良く遊んだひとつ上のいとこが一人出席で後は全て家族だった。



お寺のお参りから帰ったときに、結婚して一年ほどの甥っ子たちのお嫁さんが、兄嫁さんのもとで二人仲良く
お刺身の盛り付けに一生懸命の様子を見たとき、(あぁ・・若く新しい家族やわ)そんな光景に感動した。 
甥っ子たちにはそれぞれ今年は子供も出来て、兄は一気に二人の孫に囲まれなんと安泰な実家であろうか。 
親子四世代同居、普通なら煙たがられても仕方ない存在ではあるが、若いお嫁さんにも大事にしてもらい、
「至れり尽くせりで、こんなに幸せなことはないよ」といつも感謝いっぱいに語る母。 
私にも子や孫のいる現実、これからの人生がそんな感謝で過ごせたらと、希望が湧いてくる。 

こんな和やかな法事、温かい法事・・(これが家族と言うものなんや・・両親の作り上げた)私には感激だった。
父もきっと喜んで、みんなの笑顔や語らいを眺め聞いていたに違いない。
 
翌朝早く、こそっと起きて庭の花を眺めたり海へ向かい歩いた。

背後の何年か前の大火で焼け爛れていた山々には緑が増してきて、海はゆったりと波をはいていた。



子供の頃泳いでいた海、新しく出来た場所もあれば昔のままの石垣の部分もあって懐かしさが込み上げてくる。


昨日の法事の兄弟姉妹、五人の家族同士の語らい、にぎやかで和やかな法事のその時を思い出しながら、
子供の頃からの時々のシーンや生きてきた過程が、ゆっくりとスライドショーになって現れた。
その中には父がいた。 生きていたら90歳・・無理か・・。 (お父さん、見た? 法事にぎやかやったやろ)
船乗りだった父をのんだ海ではあるが、広くやさしい瀬戸の海にはやはり父の姿を感じてしまう。
(いい感じやない? お父さんとお母さんが生み育ててくれた子供たちで出来上がった家族やで)
と言っても還暦を待たず他界した父、母や兄夫婦の影響が大なのではあるが。 
兄弟が多いと昔からそれだけに苦労はあったと思うけれど、にぎやかで本当にいいものだなぁ。

それぞれの家庭では、様ざまな事柄を乗り越えての今日ではあるけれど和気あいあいこうして会えたということは、
何よりも得がたくて、こんな関係がずっと続いてみんなが仲良く生きていけたらどんなにいいだろうか。
こんな家族関係を、子供や孫たちにも流していく風上にいる私たち。



朝、母と洗面で一緒になった。 
法事が無事終わり安堵で疲れも出ているであろうが泊り客がいるので気をはっているようだ。
ちゃちゃっと顔を洗った母が出て行った後、水道の水が止まっていなかったが母は気づいていない。
兄嫁さんにその事を言うと「そうなんよ」と。 毎日暮らしているので細かなことでも見逃していないばかりか、
老いを増したと感じる事柄の全てを受け入れながらの日常。 これから尚どんなに大変であろうか。
介護の仕事で夜家をあけることもある兄嫁さんには、お嫁さんが看護士と言うそんな息子夫婦との同居は、
どんなに心強いことであろうか。 何もできない私であるだけに、(実家って出来すぎやない?)嬉しく思う。
帰省早々三十九度熱を出した授乳中の次女、病院の手配やら速やかな対応や言葉看護士さんに感謝。
 



法事の夕方姉が息子とUターンで京都へ帰るとき、庭での全員写真や母と五人の子供たちで撮った写真、
とてもいいのが出来て、プレートに入れて送ったが母はこの写真を電話の向こうで涙ながらに喜んでいた。 
「四人も娘がいてるけど、年とったお母さんが一番美人じゃね!」本当にそう、幸せ満面の顔写真である。
母にしたら滅多と揃うことのない子供五人とのショット、八十六歳の今を思うとよけいに感激したようだ。
姉や妹たちにも送ろうとセットしてあるが、あぁ・・また手紙を書かないといけないわ。

法事の翌日のお昼前、笑顔いっぱいの実家の家族九名に見送られ車で十五分ほどの夫の実家へ向かった。