今では、宝くじと言えば、高額の賞金が当たる一獲千金のチャンス!
ですが…もともとは、お金ではなくお守りが当たったとのこと。
江戸時代に使用された当選者を選ぶための木箱です。
箕面大滝に通じる滝道の途中にある箕面山瀧安寺は、日本の宝くじ発祥の地として有名です。山本照覺住職にお話を伺いました。
起源は、天正年間(安土桃山時代)以前までさかのぼり、江戸時代には、「侍に、今で言うガードマンを依頼したほど」大阪の商人が大勢訪れたとのこと。
「富突(とみつき)」などと呼ばれ、1月7日に行われました。参拝者の名前を書いた木札を木箱(1枚目の写真)に入れ、僧が長い柄のキリで突いて当選者を3人選び、大福を呼ぶと評判のお守りを授けたと言います。
「富突」は、他の寺院などでは金銭が当たるものとなって次第に各地に広がり、後に江戸幕府によって禁止されました。しかし、瀧安寺は他の寺社より起源が古く、営利を目的としていなかったので幕府から許可され永続したそうです。
今でも瀧安寺では、正月三が日に、参拝者が円筒型の木箱から景品が当たる木札を選ぶ「富くじ」が行われています。
「実は、地域のみなさんとまちおこしの一環として、昔の方法による富くじを復活させようという話があがっています」とご住職。
<昔と同じ道具、服装で行うんだって。そのときは、取材にいくよ!
瀧安寺の地図