吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

<年頭の辞>新年あけましておめでとうございます。

2019-01-01 00:00:01 | 日々の私の主張とか考察とか


※幸運をもたらすといわれるイノシシ像
 
<年頭にあたって>

 昨年12月23日(日)のMBS『林先生が驚く初耳学』で次のニュースを知りました。

 『宣教師を殺害したインド孤立部族、侵入者拒む歴史


※インド領アンダマン諸島の北センチネル島に住むセンチネル族

 『ひと昔前なら報復のため、この部族を誅殺しようと大規模な攻撃がなされたに違いない』この一件への結論が『旧石器時代から変らない伝統をもつこの部族の「外部との交流を受け入れない」意志を尊重する』判断に落ち着いたことは、現代社会が成熟したことを示すひとつの例である、と番組では紹介されていました。


※レヴィ・ストロース著『悲しき熱帯

 然り。文明人が傲慢だった頃(今でもそうだが)、『文明 イコール 文化』という誤った考えが横行していたのです。レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』が世に出てそれまでのヨーロッパ中心主義に異を唱えて以降は『文明のないところにも文化はある』し『未開の部族も彼ら独自の優れた文化体系を持っている』ということが世界共通の認識となっている(はずです)。


※グラナダTV版シャーロック・ホームズ『四つの署名』

 事件の舞台となったアンダマン諸島という名前に聴きおぼえのある方はいるでしょうか。
名探偵シャーロック・ホームズが登場する長編『四つの署名』が浮かんだヒトはかなり優れたシャーロッキアンです。あの吹き矢を使う忠実な原住民―――拳銃で撃たれてテムズ河に沈んでも『恐ろしい奴だった』の一言で片づけられてしまう―――彼の出身地がこのアンダマン諸島だという設定でした。
 コナン・ドイルの時代だから仕方ないとしても、この扱いはヒド過ぎます。


※グラナダTV版シャーロック・ホームズ『四つの署名』よりアンダマン諸島の原住民

 こうした『未開の原住民』はキリスト教者にとってはサタンの手先に他ならないのです。けっして人間とは認められません。なぜならキリスト教で「神」と呼称される存在はこう言うのです『汝われ以外の神を信ずべからず』―――この存在は自身のことを『妬みの神』であると言います。『十戒』を読めばわかることですが、信仰こそが最も優先すべき戒律です。確認すれば『汝殺すなかれ』の優先順位があまりに低いことに驚くでしょう。

 キリスト教に教化されていない原住民は、地獄で炎に焼かれる『永遠の滅びの刑罰』を受けなければならない存在となってしまうので、お節介にもこうした地の果てまでキリスト教の布教に赴こうとする奴ばらが出てくるワケです。

 このことが、多くの悲劇を生みました。多くの少数民族はその文化を破壊されるだけでなく、文明社会から持ち込まれた耐性のある病原菌によって絶滅した部族もいるのです。パタゴニアに住むヤーガン族(裸族)は何と服を着た所為で衛生状態が悪化して絶滅してしまいました。独自の言語、独自の文化が丸ごとひとつ消えてしまったのです。


※パタゴニアのヤーガン族(裸族)・・・現在は1名を残すのみ。

 このようなことを書いたのは私が読者をしているブログ『トーキング・マイノリティ』の麦さんの記事『イヌイットの怒り』を読んで触発されたからです。ここでも環境保護の名のもとにひとつの民族とその文化が抹殺されようとしています。もちろん環境保護は大事なのですが、ヒステリックに何でも禁じようとするその姿勢には恐ろしいものを感じます。
 私にいわせればイヌイットがアザラシを殺すのはシロクマが同様のことを行うのと同じ食物連鎖の一環なのです。


※ホッキョクグマは氷の穴から顔を出したアザラシを殴って殺し主たる食糧にしている。

 イヌイットは決して乱獲などしません。自然を敬い、獲物は自分たちに与えられた贈り物として隅々まで利用します。こうした民族およびその文化を守ること、それは環境問題に比べて決して劣らない重要なことだと考えます。
 文明の発達とともに世界は均質化してきました。いまや、どこに行っても人々はスマホで情報を集め、その行動は集めた情報に左右されています。いわばスマホによってコントロールされているのです。先日このネットワークが数時間ダウンしただけで、街はパニック状態に陥りました。スマホのみに頼る現代社会はその脆弱な下腹を露呈させたワケです。
 一律に均質なモノは人であれ文化であれたいそう脆弱なのです。
 現代はLGBTに関することだけがクローズアップされ声高に論じられていますが、多様性を認め容認する、これが今後の世界の行く末を左右する鍵になることでしょう。

 このようなダイバーシティ(多様性)を認め、尊重するることが、これからの世界を支える考えではないかと私には思えます。
 それに対応できるのはキリスト教やその流れを汲むイスラム教のような砂漠の一神教ではない、豊かな自然を背景に発達し、他者に寛容な精神を備えたアジアの多神教こそが未来に対する希望となるのではないか、そのように思います。

 本年もよろしくお願いします。