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マーチン・ファン・クレフェルト『補給戦』(その2)中公文庫 / 2016年6月20日12刷発行

2020-01-14 07:28:47 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

(承前)←その1に戻って読み直したい人はこの文字列をクリック。

 

2.鉄道による大量輸送が可能にしたもの

 ナポレオン戦役の研究と反省から相反する2つの学派が生まれます。

 フランスでは『ナポレオンの戦略は完全な失敗だった』とされ『未来の戦闘は機械的な漸進戦闘体系に移行する』という主張が主流を占めるに至ります。一方ドイツでは『ナポレオンの補給制度によって迅速な軍隊の進行が可能になった』と考え、補給と輸送に力を入れるようになります。

 ところが鉄道という新しい輸送方法の発達によって局面は一変するのです。

 これ以降、鉄道の発達により戦争の形態が大きく変わっていきます。

 

※鉄道網の発達が兵員の大量輸送を可能にした。

 

 最初に鉄道の可能性に気づき、これを戦争に利用したのはなんとロシアでした。

 1846年にロシアは14500人の軍隊を2日間で200マイル移動させたのです。

 他の国々もこの作戦とその結果を知り、鉄道輸送の重要性に気づき始めます。

 しかし兵員の大量輸送は可能になりましたが、物資については重大な問題を内包していることが分かったのです。

 これまでにない大量の兵員のための物資は当然途方も無い量になりました。

 そして鉄道輸送最大の弱点が明らかになってしまったのです。

 鉄道輸送最大の弱点、それは荷役にありました。

 この時代、コンテナ輸送という考え方はまだ無かったので、物資は1箱づつ、または1袋づつ人力で積み降ろしするしかありませんでした。

 結果、集積拠点となった駅では物資があふれ、積み下ろしの手間により列車の発車は遅れに遅れました。倉庫は物資でいっぱいになり、余った貨車は物資の一時置場となり、食料品が大量に腐りはじめ、戦闘部隊にはほとんど届かなかったのです。

 結局、戦闘の最初から最後まで鉄道網は混乱し続けました。

 しかし現場の混乱は上層部には伝わらず、ドイツ軍は第一次対戦の時代に『シュリーフェン計画』なるものを発動させます。

 

※壮大なシュリーフェン計画は鉄道による物資の大量輸送を前提に考案された。

 

 大量の軍隊を扇形に進めてフランスを面で攻略しようという壮大な計画です。

 ちょっと考えれば分かりそうなものですが、これって絶対無理としか思えません。

 『魁!男塾』じゃあないんですから『障害物をほとんど無視して全部隊が同心円の円弧に沿って進軍』って無茶(!)でしょう。

 

※男塾名物、直進行軍・・・これはムチャです!

 

 しかも左翼の第4軍および第5軍はほとんど足踏み状態なのに比べ、最右翼の第1軍は毎日全速で行軍しても間に合いそうにありません。

 無謀にもこの作戦は実行されました(本当)。

 驚いたことに順調に目的地にたどり着いたのはなんと第1軍でした。これはフランス側も『まさかドイツ軍が壮絶な大回りをして侵攻してくるとは考えていなかった』ことが原因でした。

 第1軍は目的地に到達しましたが、疲労により戦闘どころではなかったようです。

 荷役という弱点はこれ以降も軍隊の補給にとって最大のネックになります。

 

※補給部隊は遅れる運命にある・・・補給部隊は集積所から攻撃部隊まで毎日往復しなければならない。

 

 さらに補給部隊というのは常に遅れる運命にあります。

 補給すべき軍団はどんどん前進するにも関わらず、補給物資の集積拠点は移動しないため、補給部隊の進軍距離はどんどん長くなっていくのです。さらに言えば補給部隊は片道ではなく戦闘部隊と集積拠点の間を往復しなければならないのです。

 この問題は後々まで解決されずに残り、第二次世界大戦においてもドイツ軍敗北の遠因となっていくのでした。

(つづく)←その3へ進んで読みたい人はこの文字列をクリック!

 

 

 



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