この本は、哲学者ヴィトゲンシュタインの著作からテキトーな言葉を抜き出して、それに透明標本の写真を割付して『いかにも意味ありげな雰囲気を楽しむ』という、いわば『カッコつけ』用の本なのです。
筒井康隆風に言えば『わし、ヴィトゲンシュタインなんか読んじゃうんだもんね。けけけけけ。』って感じですか。
※いかにも意味ありげな言葉が並んでいます。
これに透明標本を配置・・・バブル全盛の頃、独身男性セレブが化石標本を手に入れ、部屋に飾って楽しんだ、そういう感覚です。
※パラパラと頁をめくると、心が安らぐ(のかっ!?)。
私に言わせれば『これは、いわば一種のオカルトである』と。
『オカルトは過去にあった学問体系の瓦礫である』というのが私の信条で、例えば仏教の奥義を記した仏典を『ありがたいお経である』と、もてそやし『これを唱えれば悪霊が退散する』などと信じること、オカルトとはそのようなものなのです。
ものごとは本来の意味を知り、理解すること肝要です。それを啓蒙「くら(蒙)きを啓く」と言うのです。
※せっかくですから、ちゃんと読んでみましょう!(↓)・・・2018年8月29日追記
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第1章:世界は、事実の総体である。事物の総体ではない。
・・・モノではなくセンテンスの総体こそが世界を表すのである。
第2章:私たちは事実の像をつくる。
・・・世界を理解をするにはその写像が必要である。
第3章:可能的世界の写像が論理空間である。
・・・世界は事実から成り、論理空間は命題から成る。
第4章:すべての哲学は言語批判である。
・・・哲学とは、考えることができるものとできないものの境界を明らかにする活動である。
第5章:命題は、要素命題の真理関数である。
・・・見かけの文法構造ではなく、真の論理形式を明らかにすることが哲学の目的である。
第6章:論理空間において、謎は存在しない。
・・・そもそも問うことができるなら、その問いには答えることもできる。
第7章:語ることができないことについては、沈黙するしかない。