しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

茂平の女の子

2016年06月08日 | 暮らし



(姉の話)

談・2003.6.15


小学校の給食

ない。
牛乳だけ飲まさりょうた。うもうない、におう。


弁当は温めるところがあり、そこで温みょうた。これがまた、うもうない。温めんでもええのにと思ようた。


女の子の散髪

(男は家でバリカンで坊主頭、女の子は?)

用之江の店に連れて行ってもらようた。学校の近くにあった。


祭り

(村祭の日、女の子供はどうゆう楽しみだったっか?)

いつもの麦ごはんでなく、御馳走を食べる日、白いお米のごはんが食べられる日。
着物も着て、ぽっくりを履きょうた。


ニワトリの世話

おばあさんの手伝いで、ごはんの残りや、野菜の葉っぱを取ってきて、牡蠣の殻を叩いて割って、混ぜてやりょうた。


夏休みは、(両親が収穫してきた)ぶどうや桃の袋を剥ぎょうた。桃は大と中と小とダメ(傷物)なものとに分きょうた。


夕方はお風呂の水を入れるのを手つだようた。
井戸からバケツに水を入れ、風呂まで何度も運びょうた。


涼しいところで昼寝をしたりした。


お母さんが仕掛けたごはん焚を手伝ようた。


(同級生で定時制高校への進学者は?)

なかった。おらんかった。(学校もない、行く人もいない)
中学を出て福山などへ就職した人はいってない。

広島や大阪へ就職した人は行った人がおるかもわからん。


ストッキング

バンドで留めていた。
パンティストッキングができた。パンスト。


干しイチジク

もむのを手伝いしょうた。
硫黄の匂いがくさかった。


船で眼医者に行く

近所の漁師さんが毎日、魚を魚市場までもっていきょうた。
その船に乗せてもらい、伏越まで行き、そこからは歩いて一人で駅前の眼医者に行きょうた。帰りはどうしょうたんじゃろう?覚えていない、帰りの記憶がない。


海辺の遊び

(身体にアザがあることもあり)海や浜にいくことはあんまりなかった。


芝居見物

(茂平に旅芸人が興行にくることがあった)

太鼓を叩いてまわりょうた。
番屋の隣の小屋へ、
おばあさんが見に連れていってくりょうた。あれは嬉しかった。

真田

三つ編みに編みょうた。
帽子になるんじゃゆうて、おばあさんが言ぅた。

(小学校へ)カヤの持ち込み

もっていきょうた。
何にしょうたん?じゃろう。


坂里の古墳

学校からも行ったこともある。

コメント
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