(姉の話)
談・2003.6.15
小学校の給食
ない。
牛乳だけ飲まさりょうた。うもうない、におう。
弁当は温めるところがあり、そこで温みょうた。これがまた、うもうない。温めんでもええのにと思ようた。
女の子の散髪
(男は家でバリカンで坊主頭、女の子は?)
用之江の店に連れて行ってもらようた。学校の近くにあった。
祭り
(村祭の日、女の子供はどうゆう楽しみだったっか?)
いつもの麦ごはんでなく、御馳走を食べる日、白いお米のごはんが食べられる日。
着物も着て、ぽっくりを履きょうた。
ニワトリの世話
おばあさんの手伝いで、ごはんの残りや、野菜の葉っぱを取ってきて、牡蠣の殻を叩いて割って、混ぜてやりょうた。
夏休みは、(両親が収穫してきた)ぶどうや桃の袋を剥ぎょうた。桃は大と中と小とダメ(傷物)なものとに分きょうた。
夕方はお風呂の水を入れるのを手つだようた。
井戸からバケツに水を入れ、風呂まで何度も運びょうた。
涼しいところで昼寝をしたりした。
お母さんが仕掛けたごはん焚を手伝ようた。
(同級生で定時制高校への進学者は?)
なかった。おらんかった。(学校もない、行く人もいない)
中学を出て福山などへ就職した人はいってない。
広島や大阪へ就職した人は行った人がおるかもわからん。
ストッキング
バンドで留めていた。
パンティストッキングができた。パンスト。
干しイチジク
もむのを手伝いしょうた。
硫黄の匂いがくさかった。
船で眼医者に行く
近所の漁師さんが毎日、魚を魚市場までもっていきょうた。
その船に乗せてもらい、伏越まで行き、そこからは歩いて一人で駅前の眼医者に行きょうた。帰りはどうしょうたんじゃろう?覚えていない、帰りの記憶がない。
海辺の遊び
(身体にアザがあることもあり)海や浜にいくことはあんまりなかった。
芝居見物
(茂平に旅芸人が興行にくることがあった)
太鼓を叩いてまわりょうた。
番屋の隣の小屋へ、
おばあさんが見に連れていってくりょうた。あれは嬉しかった。
真田
三つ編みに編みょうた。
帽子になるんじゃゆうて、おばあさんが言ぅた。
(小学校へ)カヤの持ち込み
もっていきょうた。
何にしょうたん?じゃろう。
坂里の古墳
学校からも行ったこともある。