しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

明治17年 茂平堤防決壊(宮ノの崎まで浸水)の記事・記録

2016年06月02日 | 江戸~明治
子供の頃、祖母は「昔堤防が切れて海水が流れ込んだ」ことを何度も話していた。
昔というのは、祖母が若いころ経験した事だろうと思っていた。
祖母は明治28年に茂平で生まれた。
堤防が決壊したのは明治17年の事で、未曾有の出来事を祖母は自分の親や近所のおじさんたちから聞かされていたのだろう。


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「大津野のあゆみ」より転記。

8/15大津波のため堤防破壊する。耕地浸水90町歩、死者5名、一夜の内に郷頭山、烏帽子山の下まで一面の青海となる。(翌年修復)
時の戸長神原神次郎ほか3名が、県庁に嘆願し、国家補助を仰ぎ、堤を修復した。


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「東谷公民館新築記念ふる里のあゆみ」(福山市大門町) 昭和52年6月発刊より転記。

明治17年7月5日夜

「堤防破潰し一夜の間に郷頭山、烏帽子山下まで一面青海となり、耕地浸水90町歩、田面の作物は海藻と化し、死者5名を出し、其の上家畜及び家屋の損害多く惨状を極めたり。と記録あるも家畜、家屋の被害の詳細判明せず。



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「福山市史・上下巻」記述なし。


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「孫たちに語りつぎたい金浦」より転記

被災地区・吉浜。
7月、大嵐、大津波、生江浜・新川の両堤防決壊、家屋流出あり。


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以後転記を追加予定

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