しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

ほうろく

2016年06月11日 | 父の話
父の話

談・2004.5.30

ほうろく

(母)
豆を炒る。餅を焼く。
ソラマメや秋豆を炒る。
焼きめしを作る。竹の皮にくるんで弁当にする。
ツナシやママカリを焼く。青い松葉の上にツナシやママカリを置いて焼く。おいしゆう焼ける。
餅を焼く。醤油をつけて、長持ちしょうた。
ひな祭りにゃあ黄な粉をこしらえたり、ほうろくは使いまくりょうた。
(七輪より大きく)ようけい焼けるけぇ勝手がよかった。


スイカを冷やす

(井戸で冷やすには)一晩はいる。


(大正生まれで)結婚しない人

親がもらええゆうて、それでもらう。あんごうで仕事にならん人がもらようらなんだ。


大のチンチン踏切

はねられて惹かれて死にょうた。それで信号ができた。
(母)飛び込み自殺した娘もおった。
アメリカ屋の前でも事故があって死んだ。


笠岡市へ合併の頃、城見村の役人

5~6人いた。(議員は十数人)
一人を残して笠岡の役場に通うようになった。
(村長さんは)
隠居した。


雑魚
(隣家が漁師で、よく魚をくれていた)

笠岡へもっていかれん、傷んだりした雑魚をくりょうた。
じゃこ、ツナシ、ママカリ、フグ。
ママカリやこゼニになりゃあへん。

母・カスを浜に買いに行って糠ずけや塩ずけにしょうた。


はだしのおっさん

(子供たちから「はだしのおっさん」と呼ばれる魚の行商人がいた。
おっさんは船を茂平の港に泊め、自分が獲った魚を売って歩いていた)

うたせゆうて、夜、網をして見ようるんじゃ。ええかげんたったら網をあげて、それを一晩中しょうる。
朝、それを売って歩く。


ひよこ

(養鶏を始めた頃、父はヒヨコと寝ていた)

かえったばかりのヒヨコを温うして、大きくなるまでいっしょに寝ようた。


くべ木の集め方

剪定カスの大きいのを割木にしょうた。
(山をもっていない茂平の人はそれだけでは不足し)製材所から買ようた。
もってきてくりょうた。
たきつけのこの葉は、山になぜに行きょうた。


水落のアサリ

(子供の頃、畑仕事を終えて帰る時、母は「ちょっと持っといてくれ」と言って10分程度、鍬で砂浜を掘った。ほぼろの1/3くらいアサリが入っていた)

母・誰も掘らんところじゃけ、掘ればなんぼでもおった。石を動かしでもしたら群れとった。

※単純な理由だが、アサリ堀の極意ともいえる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする