談・2002.8.24
SLに乗って茂平から高松へ通学の話
(母)
(長男が通う高校は、水攻めで有名な高松だった)
高校を受けるときは中学の担任から「受けるのは掛けじゃ」いわれた。
朝6時ごろ家を出ようた。
大門駅に出るのは、なるのとっさんが「どちらかが蜘蛛の巣をはろうて出る」ようた。
とっさんは、それか間なしに死んだ。気の毒に、まだ51才じゃった。かぞえで。
大門から汽車に乗って庭瀬で乗り換ようた。
(※茂平~大門と庭瀬~高松は自転車)
早かった。
真っ暗。
弁当を作りょうた。
くどを焚きょうた。
週に何日か(遠いので、週に二日ほど岡山市の親類宅に)泊まりょうた。
泊まりょうたから(大学生の従兄に)勉強をみてもらようた。
それで公務員の試験にとおた。県の試験も国の試験もとおた。びっくりした。
その頃は県の試験はむずかしゅうて、通るんなら大阪やこ行って受けい言わりょうた。
百姓の税金
かなり収入がなけりゃあ(税を)とられるゆうことはなかった。
固定資産時ははらようた。
兵隊の郵便の検査
兵隊が出す(外地から)・・中隊の班長がちょっとみる。おかしげなことを買いとらんか。
兵隊が出す(内地から)・・同上。
兵隊へ出す・・・・郵便局でみるようになっとった。
コーヒーや紅茶・・町へ出た時、飲むことがあった。
歯磨き・・粉(こな)。カンカンにはいった。
笠岡へ船で行くと
船着場(西ノ浜のようだ)に着きゃ、酒屋があり、ちくわを買うて焼酎を飲みょうた。
映画を見て、コーヒー飲んで
伏越やカフェーがあった。
しょうやん
しょうやん(魚売り)が来る前にも、似たような人が魚を売りにきょうた。
しょうやんが売る魚は笠岡湾のものが多かったが「おくり」(他市場)のものもあった。
茂平のぶどう畑が減ったのは?
安うなった。あほらしんで止めた。