しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

昭和の学校史④吉田小学校

2017年01月09日 | 城見小・他校
高等科の設置が早い。農業教育に力を入れていたようだ。

「百年史 吉田小学校 平成12年3月」より転記する。


(昭和36年3月卒業)

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明治32年・高等科4年制を併置し、吉田尋常高等学校と改称
明治40年・義務教育6年に延長される
昭和2年・学田8畝3歩を購入する
昭和3年・校旗制定
昭和4年・学田2反3畝を購入する
昭和10年・吉田実業公民学校を吉田村青年学校と改称する
昭和16年・吉田国民学校と改称する 吉田国民学校尾坂分教場と改称する
昭和22年・新吉中学校創立に伴って高等科を廃し、吉田小学校と改称する
昭和22年・ミルク給食を開始する
昭和25年・ミルク・おかず給食を開始する
昭和28年・校舎の一部を使用し吉田保育所を開所する
昭和29年・校歌の選定をする
昭和30年・吉田保育所新築 学校給食3回を開始
昭和33年・尾坂分校校舎移転 幼稚園舎新築落成
昭和38年・週5回の給食に移行する
昭和39年・スクールバス尾坂~本校間開通、4年生以上乗車。
昭和40年・尾坂分校を統合する

その他(思いで話)
昭和20年卒・・小学校の6年間で、写真は2年の時の紀元2600年式典1枚のみ。
昭和6年卒・・3年生まで尾坂分校に、4年生から本校に。班長指揮のもと1時間掛けて通学。帰りは遊びながら、家に着くのは夕方で、履物の藁草履は平均1日1足が破損します。
当時の教育は修身科が主体で、忠魂愛国・親孝行・忠孝は一つであると教えられた。
昭和20年卒・・・農作業の手伝い、山林の下刈り、神社へ必勝祈願、防空訓練、これらの間に学習していたように思う。

コメント
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