しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

昭和13年、昭和14年、昭和15年

2020年10月07日 | 昭和11年~15年
「昭和5・一億の新体制 」講談社 平成元年発行





昭和13年

「国民政府を相手とせず・・・・」。
昭和13年1月、近衛内閣の声明は、日中戦争終結への道を自ら閉ざすことになった。
中国民衆の抗戦意思は衰えず、徐州作戦、武漢作戦と戦線は伸び切って膠着状態に陥った。
一方国内では、総力戦体制の完成を期す国家総動員法が成立し、議会はその機能を失い、
各分野での統制が拡大、市民的自由は制限されていった。
木炭車・スフなどの「代用品時代」が訪れ、暗い現実を紛らわすかのように、庶民は双葉山の連勝、
映画「愛染かつら」に熱狂した。






昭和14年

昭和14年8月、ノモンハン事件さ中の独ソ不可侵条約締結に平沼麒一郎内閣は倒れ、
あとには「複雑怪奇」という言葉が残った。
そして9月、独軍はポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まった。






昭和15年

昭和15年、「近衛新体制運動」を契機に既成政党・労働組合は解散し、町内会・隣組の組織化が進み、
上意下達の官製組織、大政翼賛会へと統合されていった。
欧州でのドイツの進撃に眩惑された陸軍は日独伊三国同盟条約を推進し、9月同条約調印と南進策に基づく北部仏印進駐により、
米英との対立は決定的なものとなった。
「紀元二千六百年」の祝賀行事が終わると、国民は「一億一心」のかけ声の下、
より大きな戦争へと駆り立てられていった。




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