大相撲が栃若人気の頃、大人には「相撲クイズ」をする人がいた。
学校の帰り道、或るお宅では相撲クイズを手にしてラジオを聞いていた。
「相撲クイズ」はその日の取組票にどちらが勝つか印をする。(中入後の全取組)
取組が始まる前まで、興行人がその紙を取りに来る。控えを本人が以ってラジオやテレビを見て、当たったっか外れたか、取り組みが終わる都度印をしていた。
予想が当たる数が多いほど賞金が多かったのだろうが、子供だったのでその金額はまったくわからない。
以下、山陽新聞「世相おかやま」より
昨年7月の名古屋場所から禁止された相撲クイズが、最近また姿を変えて盛んになり。
相撲クイズでは歴史も規模も県下一といわれていた笠岡市の場合、禁止前は三つの勧進元があり、多いときは尾道・倉敷・岡山・井原・矢掛方面にわたり、13500人ものグループをつくっていた。
禁止後は鳴りをひそめていたが、最近元勧進元の一人が貸し本屋を始め、利用者へのサービスという形で用紙を配って投票を勧誘、このため他の同業者数軒でも対抗策として同じような相撲クイズを始めた。
現在では3000人くらいのグループをつくっているものと笠岡署ではみている。
学校の帰り道、或るお宅では相撲クイズを手にしてラジオを聞いていた。
「相撲クイズ」はその日の取組票にどちらが勝つか印をする。(中入後の全取組)
取組が始まる前まで、興行人がその紙を取りに来る。控えを本人が以ってラジオやテレビを見て、当たったっか外れたか、取り組みが終わる都度印をしていた。
予想が当たる数が多いほど賞金が多かったのだろうが、子供だったのでその金額はまったくわからない。
以下、山陽新聞「世相おかやま」より
昨年7月の名古屋場所から禁止された相撲クイズが、最近また姿を変えて盛んになり。
相撲クイズでは歴史も規模も県下一といわれていた笠岡市の場合、禁止前は三つの勧進元があり、多いときは尾道・倉敷・岡山・井原・矢掛方面にわたり、13500人ものグループをつくっていた。
禁止後は鳴りをひそめていたが、最近元勧進元の一人が貸し本屋を始め、利用者へのサービスという形で用紙を配って投票を勧誘、このため他の同業者数軒でも対抗策として同じような相撲クイズを始めた。
現在では3000人くらいのグループをつくっているものと笠岡署ではみている。
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