PAUL WINE JONES / STOP ARGUING OVER ME
ポール・ワイン・ジョーンズの最新作にして遺作となる「STOP ARGUING OVER ME」(写真)。これは昨年リリースされたアルバムのようですが、最近になって新宿タワーレコードで見つけて購入いたしました。っていうか新宿タワーにてこのアルバムの紹介文の中に『遺作』という文字を見てびっくりしました。え?亡くなったんだ…。
帰ってとりあえずライナーに目を通すも英語なのでさっぱり分からず…。でも『Paul died of cancer in a Jackson hospital in the summer of 2005.』とあるので、一昨年の夏に癌で亡くなられたということですね。合掌。
90年代、その頃過去の産物に成り果てようとしていたブルースですが、その聖地ミシシッピからとんでもない人達が次々と登場してきました。R.L.バーンサイド、ジュニア・キンブロウ、セデル・デイヴィス…。彼等はそれぞれの個性を持ちながら、ミシシッピ・ブルースの伝統を受け継ぎつつ、秘境から来た破壊神のごとくエギゾチックでエネルギッシュなブルースを奏で、ブルース界はもとよりロック界をも席巻しました。彼等はミシシッピと言えど、南部デルタの人ではなく北部の人達だったそうで、それはデルタ・ブルースと区別してヒル・カントリー・ブルースと呼ばれました。
仕掛けたのはファット・ポッサムというレーベル。彼らが送り出すブルース・マンは新感覚の若手ではなく、今まで何処で何やってたの?と不思議に思う“おっさん”達でした。ポール・ワイン・ジョーンズもその一人。95年に48歳でファット・ポッサムからデビュー。でも何故か彼はミシシッピ北部ではなく南部出身のデルタ・ブルース・マンだったそうです。
そんなポール・ワイン・ジョーンズのデビュー作「MULE」はサム・カー(ds)、ケニー・ブラウン(g)、ビッグ・ジャック・ジョンソン(g)という豪華バック・メンバーを迎えた傑作でした。ブギ系のアップ・ナンバーを中心に歪んだギターでワウを踏んだりと流石にファット・ポッサムな暴れようです。なにせこのデビュー作の日本盤帯のキャッチコピーは「プログレッシヴ・カントリー・ブルース」ですから…。なんかよく分かりませんけど…。
で彼、来日したこともあるんです。それは2000年のパークタワー・ブルース・フェスティバルでした。ファット・ポッサム系は大体そうなのですが、音から想像すると、いったいどんな暴れん坊が登場するのかとドキドキするんですけど、意外とおとなしそうな人の良いおっさんなんですよね。
そんな彼の人柄とデルタ魂が炸裂したのがフェス恒例、最後のセッション大会。ですが何せ7年前の話ですので、記憶が曖昧です。記憶違いはもちろん、脳の中での誇張とか有りそうなので、ここからは話半分ぐらいで読んで頂けると幸いです。
さて、この年のパークタワーはラッキー・ピーターソンやギャラクティック等、つわもの達が出演していまして、当然セッションも盛り上がりました。ポール・ワイン・ジョーンズももちろん参加していましたが、彼等のアーバンなスタイルに馴染めなかったのか、端のほうでちょっとギターを弾いては困ったような顔をし、カポの位置をずらして弾いてはまた困った顔…、そしてまたカポをずらす…。その繰り返し。
私はこの時既にそんなポール・ワイン・ジョーンズに目が釘付けでした。頑張れポール! セッションが苦手というか、輪の中に入れないというか…。とにかく頑張れポール!
そしてついに、それを見かねた仕切りの人が一旦セッションを止め、ポール・ワイン・ジョーンズをセンターに呼び、お前の好きな曲を演れ!みたいな感じになったんです。すると嬉々として得意のブギ系ノリノリの曲を演奏し始めました。これが盛り上がりました! しかももうセッションでもなんでもない、豪華面子をバックに従えたポール・ワイン・ジョーンズのオン・ステージですよ! まさに一人舞台!
それが1曲だったのか2曲やったのかは覚えていませんが、その盛り上がりが最高潮の時、勢いに乗ってさらに「さあーもう1曲いくぞー!」みたいな雰囲気をかもし出した瞬間に仕切りの人が出てきて「もう終わり!」って感じで止められちゃいました…。そしてポール・ワイン・ジョーンズは残念そうな、何とも言えない渋い顔をしていました。私的にはもっと演ってくれ~!って感じだったんですけどね~。ま、セッションですからね…。
でもあの時のポール・ワイン・ジョーンズは光ってましたね。私にとってはパークタワー・フェス名場面の一つです。南部のイナタさとデルタ魂が新宿で爆発した瞬間でした。
なんか前置きが長くなりましたが、そんなポール・ワイン・ジョーンズの遺作となったアルバム「STOP ARGUING OVER ME」です。04年にデトロイトで録音されたようです。デビュー時に比べるとサウンドのエグ味がさらに増し、曲調はドロ~ンとした呪術的な雰囲気の曲が多くなっていて、ある意味ジュニア・キンブロウにも通じる感んじ。そして深いエコーがアングラな密室間やサイケデリック感を演出し、デルタ・ブルースが本来持つドロッとした感触と溶け合っています。そこにはブルースの型を破っていながら、これぞブルース!と思わせる凄みがあります。また彼の酩酊感のあるヴォーカルも最高!
これが遺作となってしまったことはとても残念ですが、とにかくポール・ワイン・ジョーンズに拍手です!
ポール・ワイン・ジョーンズの最新作にして遺作となる「STOP ARGUING OVER ME」(写真)。これは昨年リリースされたアルバムのようですが、最近になって新宿タワーレコードで見つけて購入いたしました。っていうか新宿タワーにてこのアルバムの紹介文の中に『遺作』という文字を見てびっくりしました。え?亡くなったんだ…。
帰ってとりあえずライナーに目を通すも英語なのでさっぱり分からず…。でも『Paul died of cancer in a Jackson hospital in the summer of 2005.』とあるので、一昨年の夏に癌で亡くなられたということですね。合掌。
90年代、その頃過去の産物に成り果てようとしていたブルースですが、その聖地ミシシッピからとんでもない人達が次々と登場してきました。R.L.バーンサイド、ジュニア・キンブロウ、セデル・デイヴィス…。彼等はそれぞれの個性を持ちながら、ミシシッピ・ブルースの伝統を受け継ぎつつ、秘境から来た破壊神のごとくエギゾチックでエネルギッシュなブルースを奏で、ブルース界はもとよりロック界をも席巻しました。彼等はミシシッピと言えど、南部デルタの人ではなく北部の人達だったそうで、それはデルタ・ブルースと区別してヒル・カントリー・ブルースと呼ばれました。
仕掛けたのはファット・ポッサムというレーベル。彼らが送り出すブルース・マンは新感覚の若手ではなく、今まで何処で何やってたの?と不思議に思う“おっさん”達でした。ポール・ワイン・ジョーンズもその一人。95年に48歳でファット・ポッサムからデビュー。でも何故か彼はミシシッピ北部ではなく南部出身のデルタ・ブルース・マンだったそうです。
そんなポール・ワイン・ジョーンズのデビュー作「MULE」はサム・カー(ds)、ケニー・ブラウン(g)、ビッグ・ジャック・ジョンソン(g)という豪華バック・メンバーを迎えた傑作でした。ブギ系のアップ・ナンバーを中心に歪んだギターでワウを踏んだりと流石にファット・ポッサムな暴れようです。なにせこのデビュー作の日本盤帯のキャッチコピーは「プログレッシヴ・カントリー・ブルース」ですから…。なんかよく分かりませんけど…。
で彼、来日したこともあるんです。それは2000年のパークタワー・ブルース・フェスティバルでした。ファット・ポッサム系は大体そうなのですが、音から想像すると、いったいどんな暴れん坊が登場するのかとドキドキするんですけど、意外とおとなしそうな人の良いおっさんなんですよね。
そんな彼の人柄とデルタ魂が炸裂したのがフェス恒例、最後のセッション大会。ですが何せ7年前の話ですので、記憶が曖昧です。記憶違いはもちろん、脳の中での誇張とか有りそうなので、ここからは話半分ぐらいで読んで頂けると幸いです。
さて、この年のパークタワーはラッキー・ピーターソンやギャラクティック等、つわもの達が出演していまして、当然セッションも盛り上がりました。ポール・ワイン・ジョーンズももちろん参加していましたが、彼等のアーバンなスタイルに馴染めなかったのか、端のほうでちょっとギターを弾いては困ったような顔をし、カポの位置をずらして弾いてはまた困った顔…、そしてまたカポをずらす…。その繰り返し。
私はこの時既にそんなポール・ワイン・ジョーンズに目が釘付けでした。頑張れポール! セッションが苦手というか、輪の中に入れないというか…。とにかく頑張れポール!
そしてついに、それを見かねた仕切りの人が一旦セッションを止め、ポール・ワイン・ジョーンズをセンターに呼び、お前の好きな曲を演れ!みたいな感じになったんです。すると嬉々として得意のブギ系ノリノリの曲を演奏し始めました。これが盛り上がりました! しかももうセッションでもなんでもない、豪華面子をバックに従えたポール・ワイン・ジョーンズのオン・ステージですよ! まさに一人舞台!
それが1曲だったのか2曲やったのかは覚えていませんが、その盛り上がりが最高潮の時、勢いに乗ってさらに「さあーもう1曲いくぞー!」みたいな雰囲気をかもし出した瞬間に仕切りの人が出てきて「もう終わり!」って感じで止められちゃいました…。そしてポール・ワイン・ジョーンズは残念そうな、何とも言えない渋い顔をしていました。私的にはもっと演ってくれ~!って感じだったんですけどね~。ま、セッションですからね…。
でもあの時のポール・ワイン・ジョーンズは光ってましたね。私にとってはパークタワー・フェス名場面の一つです。南部のイナタさとデルタ魂が新宿で爆発した瞬間でした。
なんか前置きが長くなりましたが、そんなポール・ワイン・ジョーンズの遺作となったアルバム「STOP ARGUING OVER ME」です。04年にデトロイトで録音されたようです。デビュー時に比べるとサウンドのエグ味がさらに増し、曲調はドロ~ンとした呪術的な雰囲気の曲が多くなっていて、ある意味ジュニア・キンブロウにも通じる感んじ。そして深いエコーがアングラな密室間やサイケデリック感を演出し、デルタ・ブルースが本来持つドロッとした感触と溶け合っています。そこにはブルースの型を破っていながら、これぞブルース!と思わせる凄みがあります。また彼の酩酊感のあるヴォーカルも最高!
これが遺作となってしまったことはとても残念ですが、とにかくポール・ワイン・ジョーンズに拍手です!