ISAAC HAYES / ULTIMATE ISAAC HAYES CAN YOU DIG IT?
前回からのつづきです。
8月31日の東京JAZZ2008でサム・ムーアが歌った「I Stand Accused」。ジェリー・バトラーがオリジナルの名バラードで、サムの気持ちの入りまくった歌唱はこの日のハイライトと言っても良い極上の1曲でした。ですが随分渋い曲を、とも思ったものです。この名曲は色々な人が歌っていますが、実はアイザック・ヘイズもカヴァーしていまして、70年にシングル・カットされR&Bチャートに入るヒットとなっています。
後で知ったことなのですが、サム・ムーアはこの曲に数日前(8月10日)に亡くなったアイザック・ヘイズへのトリビュートの意を込めていたそうなのです。数日後のブルーノート公演ではインストで「Shaft」も披露していたとか。アイザック・ヘイズとサム・ムーアは同じスタックス・レコードの仲間です。しかも単なるレーベル・メイトではありません。
サムがスタックス入りした65年頃、アイザック・ヘイズはデイヴィッド・ポーターとソングライター・チームを組んでいました。実はサム&デイヴが歌い大ヒットした「Hold On, I'm Comin」や「When Something Is Wrong with My Baby」、「Soul Man」など、彼らの代表曲の殆どがヘイズ&ポーターのチームによって書かれた曲なのです。またサム&デイヴが歌った曲群こそが、ヘイズ&ポーターの代表曲でもあるのです。
この60年代半ばから後半に掛けてのスタックスは、サム&デイブとオーティス・レディングを2大看板とし、メンフィス・ソウルの雄としてアトランティックの後ろ盾を得た第1期全盛期です。この時、アイザック・ヘイズはコンポーザーという言わば裏方でそのヒットを支えていました。おそらくこの時期に後々ヘイズがソウルの一歩先を行くに充分なノウハウを培ったのだと思います。そしてそのノウハウを発展させて自分の脳裏にある世界を壮大なオーケストレーションを駆使し思うがままにサウンド化することに成功したのではないかと。それが「HOT BUTTERED SOUL」を生み、「SHAFT」へと繋がったのではないでしょうか。
67年にオーティスが亡くなり、翌年アトランティックと手切れになり、サム&デイブも離脱し、スタックスの第1期全盛期は幕を下ろします。本来ならここで倒産してもおかしくない程の痛手ですが、それを第2期全盛期へと引っ張ったのは、おそらく、いよいよ表舞台へ踊りだしたアイザック・ヘイズだったのではないでしょうか。「HOT BUTTERED SOUL」の成功が69年、それ以降ヒット作を連発します。極めつけは「SHAFT」。これらヒット作と呼ぶにはあまりにも斬新で冒険的かつ芸術的な作品群はニューソウルからブラック・シネマへとソウル・ミュージックの可能性を押し広げました。そしてメンフィス・ソウルの枠に留まらない、ブラック・パワーの急先鋒と化した新しいスタックスの先頭を走ったのです。
この頃のスタックスとアイザック・ヘイズがいかに凄かったかは映画「WATTSTAX」を観れば分かります。この映画は72年にスタックス主導で開催されたコンサートを記録したドキュメンタリー。10万人以上が集まったと言われるこのライヴの背景には人種差別など色々な問題の中での「黒人意識」があり、全ての演奏にそれを高めるかのような、この時代ならではの独特な熱さと高揚感があります。そしてそれらが爆発的なエネルギーを生んでいます。
ステイプル・シンガーズ、バーケイズ、アール・キングといった当時のスタックスを彩る数々のアーティストの熱演の後、大トリとしてアイザック・ヘイズが登場します。熱狂的な観客の歓声に迎えられてステージへ上がるアイザック・ヘイズにはまるで「黒人意識」のオピニオン・リーダーのようなオーラが感じられます。トレードマークのスキンヘッド、黒光りする裸の上半身にゴールドの鎖、そして独特の低音ヴォイスから発せられるソウルネス。それらが醸し出す圧倒的な存在感は、“登場”と言うより“降臨”と評したい、まさに“ブラック・モーゼス”の異名に相応しい、彼こそがこの時代を象徴するアーティストだったことを物語っています。
しかしソウル・ミュージックの中心を走り続けたスタックスも、残念ながら76年に終演を迎えます。アイザック・ヘイズはその後自身のレーベルを起こしたり、音楽活動を続けていきますが、俳優としても成功を掴みます。「ハッスル&フロウ」や「レインディア・ゲーム」など多数の映画に出演しているそうです。また声優としてテレビアニメ「サウス・パーク」でのシェフ役も有名。そしてヘイズにとって遺作となった映画がこの秋に公開予定の「ソウル・メン」。監督はマルコム・D・リー。題名の通りサム&デイヴを連想させる映画のようですが、伝記映画ではなさそうです。
米南部の鄙びたレーベルだったスタックスを、日に陰に支えたアイザック・ヘイズ。そのスタックスが倒産30年後の06年に復活し、アンジー・ストーンや、ソウライヴ、レイラ・ハサウェイ、そして最近ではリオン・ウェアの新作などもリリースし活況を呈していますが、アイザック・ヘイズはその新生スタックスと最初に契約を交わしたアーティストの一人だったそうです。スタックスでの新作を出して欲しかったですが、それはかなわぬ夢となってしまいましたね。
アイザック・ヘイズさん、安らかに。
*写真のアルバムは05年にリリースされたCD2枚、DVD1枚の計3枚組、スタックス時代のベスト・アルバム。アップ・テンポの「Theme from Shaft」の格好良さはもちろんですが、「I Stand Accused」をはじめとするスロー・ナンバーの数々には、この人がバラディアーとして非凡な才能の持ち主だったことをあらためて思い知らされます。男の私もこの低音にはうっとりです。未発表ライヴのゴスペル・ナンバー「His Eye Is On The Sparrow」も感動的ですが、やはり目玉はDVD。4曲だけという付録のようなものですが、なかでもオリジナルの映画では観れなかった「ワッツタックス」でのライヴ映像は鳥肌物。
~関連過去ブログ~ お時間有ったらぜひ!
08. 9. 9 アイザック・ヘイズを偲ぶ 1
前回からのつづきです。
8月31日の東京JAZZ2008でサム・ムーアが歌った「I Stand Accused」。ジェリー・バトラーがオリジナルの名バラードで、サムの気持ちの入りまくった歌唱はこの日のハイライトと言っても良い極上の1曲でした。ですが随分渋い曲を、とも思ったものです。この名曲は色々な人が歌っていますが、実はアイザック・ヘイズもカヴァーしていまして、70年にシングル・カットされR&Bチャートに入るヒットとなっています。
後で知ったことなのですが、サム・ムーアはこの曲に数日前(8月10日)に亡くなったアイザック・ヘイズへのトリビュートの意を込めていたそうなのです。数日後のブルーノート公演ではインストで「Shaft」も披露していたとか。アイザック・ヘイズとサム・ムーアは同じスタックス・レコードの仲間です。しかも単なるレーベル・メイトではありません。
サムがスタックス入りした65年頃、アイザック・ヘイズはデイヴィッド・ポーターとソングライター・チームを組んでいました。実はサム&デイヴが歌い大ヒットした「Hold On, I'm Comin」や「When Something Is Wrong with My Baby」、「Soul Man」など、彼らの代表曲の殆どがヘイズ&ポーターのチームによって書かれた曲なのです。またサム&デイヴが歌った曲群こそが、ヘイズ&ポーターの代表曲でもあるのです。
この60年代半ばから後半に掛けてのスタックスは、サム&デイブとオーティス・レディングを2大看板とし、メンフィス・ソウルの雄としてアトランティックの後ろ盾を得た第1期全盛期です。この時、アイザック・ヘイズはコンポーザーという言わば裏方でそのヒットを支えていました。おそらくこの時期に後々ヘイズがソウルの一歩先を行くに充分なノウハウを培ったのだと思います。そしてそのノウハウを発展させて自分の脳裏にある世界を壮大なオーケストレーションを駆使し思うがままにサウンド化することに成功したのではないかと。それが「HOT BUTTERED SOUL」を生み、「SHAFT」へと繋がったのではないでしょうか。
67年にオーティスが亡くなり、翌年アトランティックと手切れになり、サム&デイブも離脱し、スタックスの第1期全盛期は幕を下ろします。本来ならここで倒産してもおかしくない程の痛手ですが、それを第2期全盛期へと引っ張ったのは、おそらく、いよいよ表舞台へ踊りだしたアイザック・ヘイズだったのではないでしょうか。「HOT BUTTERED SOUL」の成功が69年、それ以降ヒット作を連発します。極めつけは「SHAFT」。これらヒット作と呼ぶにはあまりにも斬新で冒険的かつ芸術的な作品群はニューソウルからブラック・シネマへとソウル・ミュージックの可能性を押し広げました。そしてメンフィス・ソウルの枠に留まらない、ブラック・パワーの急先鋒と化した新しいスタックスの先頭を走ったのです。
この頃のスタックスとアイザック・ヘイズがいかに凄かったかは映画「WATTSTAX」を観れば分かります。この映画は72年にスタックス主導で開催されたコンサートを記録したドキュメンタリー。10万人以上が集まったと言われるこのライヴの背景には人種差別など色々な問題の中での「黒人意識」があり、全ての演奏にそれを高めるかのような、この時代ならではの独特な熱さと高揚感があります。そしてそれらが爆発的なエネルギーを生んでいます。
ステイプル・シンガーズ、バーケイズ、アール・キングといった当時のスタックスを彩る数々のアーティストの熱演の後、大トリとしてアイザック・ヘイズが登場します。熱狂的な観客の歓声に迎えられてステージへ上がるアイザック・ヘイズにはまるで「黒人意識」のオピニオン・リーダーのようなオーラが感じられます。トレードマークのスキンヘッド、黒光りする裸の上半身にゴールドの鎖、そして独特の低音ヴォイスから発せられるソウルネス。それらが醸し出す圧倒的な存在感は、“登場”と言うより“降臨”と評したい、まさに“ブラック・モーゼス”の異名に相応しい、彼こそがこの時代を象徴するアーティストだったことを物語っています。
しかしソウル・ミュージックの中心を走り続けたスタックスも、残念ながら76年に終演を迎えます。アイザック・ヘイズはその後自身のレーベルを起こしたり、音楽活動を続けていきますが、俳優としても成功を掴みます。「ハッスル&フロウ」や「レインディア・ゲーム」など多数の映画に出演しているそうです。また声優としてテレビアニメ「サウス・パーク」でのシェフ役も有名。そしてヘイズにとって遺作となった映画がこの秋に公開予定の「ソウル・メン」。監督はマルコム・D・リー。題名の通りサム&デイヴを連想させる映画のようですが、伝記映画ではなさそうです。
米南部の鄙びたレーベルだったスタックスを、日に陰に支えたアイザック・ヘイズ。そのスタックスが倒産30年後の06年に復活し、アンジー・ストーンや、ソウライヴ、レイラ・ハサウェイ、そして最近ではリオン・ウェアの新作などもリリースし活況を呈していますが、アイザック・ヘイズはその新生スタックスと最初に契約を交わしたアーティストの一人だったそうです。スタックスでの新作を出して欲しかったですが、それはかなわぬ夢となってしまいましたね。
アイザック・ヘイズさん、安らかに。
*写真のアルバムは05年にリリースされたCD2枚、DVD1枚の計3枚組、スタックス時代のベスト・アルバム。アップ・テンポの「Theme from Shaft」の格好良さはもちろんですが、「I Stand Accused」をはじめとするスロー・ナンバーの数々には、この人がバラディアーとして非凡な才能の持ち主だったことをあらためて思い知らされます。男の私もこの低音にはうっとりです。未発表ライヴのゴスペル・ナンバー「His Eye Is On The Sparrow」も感動的ですが、やはり目玉はDVD。4曲だけという付録のようなものですが、なかでもオリジナルの映画では観れなかった「ワッツタックス」でのライヴ映像は鳥肌物。
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