ちょいと前の話だが、11月19日日曜日、山本正之先生のライヴに行ってきた。
山本先生は「燃えよドラゴンズ!」が作詞・作曲のデビュー。笑福亭鶴光さんの「うぐいすだにミュージックホール」や、間寛平さんの「ひらけチューリップ」なども提供しているが、何と言っても自身が唄う『タイムボカン』シリーズの数々の楽曲が有名ではないかと思う。
さて、わたしは2004年まで、ほとんど曲も聴いたことがなく、「名前は知っているが…」という存在だった。
当時わたしは、岩見沢市内のコミュニティFMで、番組を制作するボランティア集団に入っていて、わたしはアニメ系の番組に所属していた。
2003年度は月3回木曜日の19時から放送していたが、諸般の事情で2004年度は月2回土曜日の16時からに移った。
それを機会に新しいコーナーを設けることになり、各月1回目の放送ではアニメソングの歌い手を取り上げてみよう…ということにした。4月の1回目は山本正之さんであり、この時番組でかけたCDを借りたりするうちに、自分がファンになってしまった。
さて、この年の10月、札幌市内で「マサユキ前線南回帰線」というライヴ情報を、本日誌でもおなじみのAさんから教えて頂いた。もちろん名前のとおり、山本先生のライヴである。
ファンになるきっかけとなった、番組を一緒にやっていたNさんらとともに、さっそく出向いた。当日は休日出勤が予定されていたが、“所用”で蹴って、である。場所は、確か「チサンホテル」だったような。
翌年、つまり昨年である2005年6月、今度は“歴史シリーズ”のみが唄われた「オール歴史シリーズライヴ『怒濤日本史』が行なわれ、やはり参加した。今度は全日空ホテル23階、となりは結婚式の新郎新婦控え室(笑)。こんなところで3~40人くらいが集まった。
そして今回。都合により、詳細は次回に記述予定。
山本先生は「燃えよドラゴンズ!」が作詞・作曲のデビュー。笑福亭鶴光さんの「うぐいすだにミュージックホール」や、間寛平さんの「ひらけチューリップ」なども提供しているが、何と言っても自身が唄う『タイムボカン』シリーズの数々の楽曲が有名ではないかと思う。
さて、わたしは2004年まで、ほとんど曲も聴いたことがなく、「名前は知っているが…」という存在だった。
当時わたしは、岩見沢市内のコミュニティFMで、番組を制作するボランティア集団に入っていて、わたしはアニメ系の番組に所属していた。
2003年度は月3回木曜日の19時から放送していたが、諸般の事情で2004年度は月2回土曜日の16時からに移った。
それを機会に新しいコーナーを設けることになり、各月1回目の放送ではアニメソングの歌い手を取り上げてみよう…ということにした。4月の1回目は山本正之さんであり、この時番組でかけたCDを借りたりするうちに、自分がファンになってしまった。
さて、この年の10月、札幌市内で「マサユキ前線南回帰線」というライヴ情報を、本日誌でもおなじみのAさんから教えて頂いた。もちろん名前のとおり、山本先生のライヴである。
ファンになるきっかけとなった、番組を一緒にやっていたNさんらとともに、さっそく出向いた。当日は休日出勤が予定されていたが、“所用”で蹴って、である。場所は、確か「チサンホテル」だったような。
翌年、つまり昨年である2005年6月、今度は“歴史シリーズ”のみが唄われた「オール歴史シリーズライヴ『怒濤日本史』が行なわれ、やはり参加した。今度は全日空ホテル23階、となりは結婚式の新郎新婦控え室(笑)。こんなところで3~40人くらいが集まった。
そして今回。都合により、詳細は次回に記述予定。
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