<たとえば、シマザキトウソンという、詩人で作家だった青年は、キタムラトウコクという、同じように詩人で作家だった男の「遺言執行人」の役をかってでました。コバヤシヒデオという青年も、同じように、ナカハラチュウヤという青年が亡くなった後、「遺言執行人」として、大いに活躍しました。そして、戦争のような大きな事件が起こり、人が大量に亡くなると、当然のことながら、「遺言執行人」も大量に現れることになるのです。
そして、そういった「遺言執行人」たちに、「我々は死者の代弁をしているのだ、死者のいうことに、つまり我々のいうことに耳をかたむけろ」といわれると、誰の代弁もしていない、誰の「遺言」も預かってはいない我々は、なんだか恥ずかしくなって、頭を下げ、眼を閉じて、しばらくの間、神妙な面持ちで、彼らの発言を聞くことにするのですが、内心では、「いつ、話が終わるんだろう、早く終わらないかなあ、夕方から、見たいテレビの番組があるんだけど」などと思っているのです。>
(高橋源一郎『ニッポンの小説 百年の孤独』「死んだ人はお経やお祈りを聞くことができますか?」より)
そして、そういった「遺言執行人」たちに、「我々は死者の代弁をしているのだ、死者のいうことに、つまり我々のいうことに耳をかたむけろ」といわれると、誰の代弁もしていない、誰の「遺言」も預かってはいない我々は、なんだか恥ずかしくなって、頭を下げ、眼を閉じて、しばらくの間、神妙な面持ちで、彼らの発言を聞くことにするのですが、内心では、「いつ、話が終わるんだろう、早く終わらないかなあ、夕方から、見たいテレビの番組があるんだけど」などと思っているのです。>
(高橋源一郎『ニッポンの小説 百年の孤独』「死んだ人はお経やお祈りを聞くことができますか?」より)