徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

シンプルを我慢できない人たち/ちばアクション船橋デモ

2011-12-12 03:43:47 | News


今日はちばアクションの船橋デモに参加。
警官や歩道の一般人に喰ってかかるおじさんが約一名いたので、周囲の人たちと一緒に彼をなだめながら歩いた(まあ、話せばわかる)。警官の方もデモ隊の間隔を詰めるために参加者を手で押すという、ちょっと信じられないようなこともしていて、牧歌的なのか、緊張感がないのか、何ともよくわからない雰囲気でデモは進行した。

で、だ。
もう昨日の野音と同じような感想しか書けないんだが、ここでも長文のシュプレヒコールをただ分解しただけの何とも締まらないコールがだらだらと繰り返された(女性コーラーの巧拙は置いておく)。
では30、40分程度の短いコースで、何というフレーズで一番参加者の声が出ていたのか。
それはどう考えたって、参加者の極めてシンプルな意志表示である「原発いらない」「原発止めよう(止めろ)」だったはずだ。
必要なのはただそれだけである。
都内のデモならばドラム隊のリズムキープで、このシンプルな言葉(コール)のループでさえもリズムのひとつとして成立し、路上の歩行者に伝わっていく。オレは説明が必要なまどろっこしい「言葉」はプラカードで表現すればいいと思うし、歩行者にとっては路上を移動していく風景でしかないデモで、説明が必要な言葉(コール)を繰り返すのはあまり意味がないと思っている。大事なのは「私たちは何を訴えているのか」という短く、シンプルな表現しかない。それが路上の存在証明というものである。
しかし一方でこのシンプルな言葉に不安を覚えたり、物足りなさを感じる類の人間もいる。今日のデモで繰り返されたのは、そういう類の人たちの「シンプルが我慢できずに織り込んだ伝わりにくい言葉」の数々であり、実際それが歩行者に伝わっていたとは思えない。労組風の主張を織り込みながら「一緒に歩こう」と呼びかけたところで、何だかよくわからない集団と「一緒に歩く」などというお人好しなど現れるはずがないのだ。
せっかく路上に出てデモっているのだから「たくさん言いたいことがある」という気持ちはわからないでもない。しかし私たちは「原発いらない」と表現するために集まり、歩いているのだ。
これだから「右から」デモの方が余程清々しいと思う。彼らはあえてイデオロギーこそ装っているが、デモに関して反/脱原発以外の主張/表現は一切しないし、シュプレヒコールのスタイルも一貫している。

アンケートにも答えたので、もし関係者が見ていたら考えて欲しいのだが、本当に歩行者に参加を呼びかけ、拡がり、つながっていこうとするつもりならば、このスタイルで続けるのはちょっと苦しいと思う。
東京の形だけ真似たってこんなんじゃ路上は巻き込めないぞ。