日曜日。二ヶ月ぶりに新大久保でレイシストたちの排外デモ(東京韓国学校無償化撤廃デモ in 新大久保)が強行された。
しかもメインストリートである大久保通りを通り抜けるコースが選ばれている。勿論職安通りだって、集合場所の大久保公園だってレイシストが歩くことは許されるべきではないのだが、よりによって大久保通りがコースに組み込まれていると知ったときは、正直なところショックだった。もうそんな話は終わった話だと思っていたのだ。
しかし今回も許可は下りてしまった。下りてしまった以上、警備は何が何でもデモを通す。歪んだ順法闘争にしがみつくレイシストたちは笑いながら新大久保を歩く。
2020年のオリンピック開催地の決定を見届けてから、少しだけ仮眠して新宿へ向かう。総武線と中央線を乗り継ぎながら、いつもながらストーンズのHot Rocks2の1曲目から3曲目までをリピートして眠気と体調不良をぶっ飛ばしつつ無理矢理テンションを上げる。
デモ開始の数時間前から大久保公園周辺では6月30日を越える大掛かりな警備が展開され、公園横の道路どころか、その道路にすら近寄ることができない。10時を過ぎたあたりからデモの「出口」である職安通り沿いのコンビニ周辺にカウンターが集まり、間もなく「出口」を塞ぐようにカウンター参加者のシットインが始まった。2013年の新大久保のサウンドトラックであるRED NOTE SCALEの「奴らを通すな!x No Pasaran!」を大音量で流しながら、車で現場に乗り付けるカウンターもいた。スタートが迫るごとにカウンターのひとりひとりがプラカードを掲げ、反対側の歩道からはダンマク隊やプラカ隊による大小の横断幕やゲーフラが盛大に掲げられる。
そしてカウンター全体から「ヘイトデモ中止」のコールがひたすら繰り返された。
現場の熱気と体調の悪さと眠気から時折頭がくらくらしそうになりながら、それでも最前列の鉄柵につかまりながら全力で声を上げ続ける。すぐに全身から汗が吹き出る。
カウンター日当3万円説と同様、いまだにカウンター行動を「無許可デモ」と本気で勘違いし続ける頭の悪いレイシストがいるのだけれども(カウンターに「許可」が必要なわけがない)、この日のカウンターの行動はまさしく、ただしく「デモ」と言っていいものだった。それはレイシストに向けられているというよりも、明らかに警備、そして排外デモを許可してしまった為政者に向けられていた。
勿論この2ヶ月の間にもブログには書いていない“カウンター行動”には参加してきたのだけれども、軽々に書けないこともありつつ、やはりどうしたって<罵声を飛ばし合うレイシスト対カウンター>という、いつもながらの構図に苛立ちを感じていた。為政者や企業や、大きな話にしてしまえば<システム>に対して地道に、執拗に、粘り強く「同じコール」を繰り返し続けなければならない反原発行動と違って、反レイシズムのカウンターの「集団行動」はルーティンに耐えられない。
それはカウンター行動がレイシスト同様の、ある種の「ストレス解消」に見られてしまう危険性を常に孕んでいるからだ。現場で挑発し、罵倒し続けるだけではレイシストとカウンターと警備による予定調和の中に組み込まれてしまうだけである。どちらに転ぶとしても状況は動かさなければならない。
それまでのカウンター行動でも短い時間での「(レイシスト)帰れ」コールはあったものの、この日の「ヘイトデモ中止」コールは、ほとんど途切れることなく1時間以上続いていた。
この日の新大久保には誰に指示されたわけでもない、自然発生的な、まさに「デモ」の現場が生まれていた。
状況を動かせ、デモを中止しろ、デモの許可を下すな、というわけだ。
その意味でこの日の新大久保でのカウンター行動はレイシスト対カウンターというよりも、いつも以上にカウンター対システム(為政者、警備)の構図が色濃かったと言える。
ちなみに今回の排外デモは卑劣にも子どもたちを標的にした「東京韓国学校無償化撤廃デモ」と銘打っている。しかしいつもながら何を言っているのか、何を主張しているのかわけのわからない、しょうもないデモだったのは言うまでもない。
レイシストに(東京の場合)新大久保を歩かせないということが、まず彼らに差別行為を止めさせる前提にある。これまでもカウンター参加者は新宿区や公安委員会に向けた署名活動などでの関係各所への抗議、さらに現場の警察官、機動隊の一人ひとりに「ヘイトデモ中止」を訴え続けている。
決してレイシストを直接罵倒することだけが目的や手段ではないのだ。
瀬戸弘幸による大動員の排外デモが行なわれた6月30日には職安通りの車道にまでカウンターが溢れ、ひとりの男性がこの日と同じ場所でシットインを強行した。
そしてその日を境にこの2ヵ月、新大久保で排外デモは行なわれなかった。スタート地点に設定される大久保公園が夏場のイベントシーズンだったこともあるけれども(レイシストには夏場のデモに耐えられる体力がないということもある)、それはそれでカウンターの初期の目標は達成できていたのだ。
しかし信じられないことに新大久保での排外デモはまたもや許可され、一部で予想されていたことだとはいえ新大久保での排外デモは復活してしまった。この日のカウンター行動が、レイシストにだけ向けた抗議というよりも、それを許してしまった為政者や、個人の感情はともかく許可されてしまった以上はいくら差別的なデモでも粛々と実行させる警備に対して、より強い調子で向けられたのは当然といえば当然である。
無論レイシストたちへの抗議も生卵やペットボトルが投げつけられたようにエスカレートしていく。
職安通りでの2度のシットインが排除されたあと、路地を通って大久保通りへ先回りした。
明治通りと大久保通りの交差点には同じようにカウンターが集結し、警備の指揮車が大久保通りへ左折する前に50人ほどのカウンターが一斉にシットインを開始した。
職安通りのシットインでは、抱えたカウンターを概ね「優しく着地」させていた機動隊の諸君も、シットインがここまで大人数になるとずいぶん扱いが荒っぽい。さらにごつい靴で背中に蹴りを喰らわす。興奮した警官や公安もカウンターの服を引っ張り、身体を引きずり回す。
カウンターに参加するときは基本的にトラメガ以外は手ぶらのオレも、今回は携帯電話の類までコインロッカーに預けてきたのだけれども、身体を逆さにされた瞬間ポケットに残っていた小銭を車道にぶちまけた(みっともねえ)。
それでも一旦排除されてもカウンターは次々とシットインの列の後ろに回り込み、また車道に座り込む。
10分ほど、カウンターと警備の間でそんな攻防が続いた。このシットインを受けて、その後、大久保通りを通る排外デモの隊列の前には、それと同じか、それ以上の人数の機動隊の隊列が組まれた。それは実に異様な光景だったと思う。
そして排外デモが新大久保駅前を通過したあたりで、生卵が2個投げつけられた。ひとつはレイシストに当たり、ひとつは気の毒な機動隊員に当たった。
これが東京での五輪開催が決まった日に、その東京で行なわれたレイシストのデモなのだ。
こんなものが許されていいわけがない。こんなものが許され続ける以上、まずオレたちは連中の「出口」や通り道に座り続ける。そしてこんな状況がまだ許され続けるのならば、挑発や侮蔑の言葉だけではなく、「言葉じゃないもの」が飛び交い始めるのも近いのかもしれない。
カウンター終了後、ATS君のTOKYO AGAINST RACISMのTシャツが派手に茶色に染まっていた。流血でもしたのかと思い聞いてみると、誰かがデモに向けて投げつけたペットボトルが降りかかったのだという。
スリキズ程度ならともかく流血の騒ぎはまだ起こってはいない。起こっていないうちに止めるべきだろう。
しかもメインストリートである大久保通りを通り抜けるコースが選ばれている。勿論職安通りだって、集合場所の大久保公園だってレイシストが歩くことは許されるべきではないのだが、よりによって大久保通りがコースに組み込まれていると知ったときは、正直なところショックだった。もうそんな話は終わった話だと思っていたのだ。
しかし今回も許可は下りてしまった。下りてしまった以上、警備は何が何でもデモを通す。歪んだ順法闘争にしがみつくレイシストたちは笑いながら新大久保を歩く。
2020年のオリンピック開催地の決定を見届けてから、少しだけ仮眠して新宿へ向かう。総武線と中央線を乗り継ぎながら、いつもながらストーンズのHot Rocks2の1曲目から3曲目までをリピートして眠気と体調不良をぶっ飛ばしつつ無理矢理テンションを上げる。
デモ開始の数時間前から大久保公園周辺では6月30日を越える大掛かりな警備が展開され、公園横の道路どころか、その道路にすら近寄ることができない。10時を過ぎたあたりからデモの「出口」である職安通り沿いのコンビニ周辺にカウンターが集まり、間もなく「出口」を塞ぐようにカウンター参加者のシットインが始まった。2013年の新大久保のサウンドトラックであるRED NOTE SCALEの「奴らを通すな!x No Pasaran!」を大音量で流しながら、車で現場に乗り付けるカウンターもいた。スタートが迫るごとにカウンターのひとりひとりがプラカードを掲げ、反対側の歩道からはダンマク隊やプラカ隊による大小の横断幕やゲーフラが盛大に掲げられる。
そしてカウンター全体から「ヘイトデモ中止」のコールがひたすら繰り返された。
現場の熱気と体調の悪さと眠気から時折頭がくらくらしそうになりながら、それでも最前列の鉄柵につかまりながら全力で声を上げ続ける。すぐに全身から汗が吹き出る。
カウンター日当3万円説と同様、いまだにカウンター行動を「無許可デモ」と本気で勘違いし続ける頭の悪いレイシストがいるのだけれども(カウンターに「許可」が必要なわけがない)、この日のカウンターの行動はまさしく、ただしく「デモ」と言っていいものだった。それはレイシストに向けられているというよりも、明らかに警備、そして排外デモを許可してしまった為政者に向けられていた。
勿論この2ヶ月の間にもブログには書いていない“カウンター行動”には参加してきたのだけれども、軽々に書けないこともありつつ、やはりどうしたって<罵声を飛ばし合うレイシスト対カウンター>という、いつもながらの構図に苛立ちを感じていた。為政者や企業や、大きな話にしてしまえば<システム>に対して地道に、執拗に、粘り強く「同じコール」を繰り返し続けなければならない反原発行動と違って、反レイシズムのカウンターの「集団行動」はルーティンに耐えられない。
それはカウンター行動がレイシスト同様の、ある種の「ストレス解消」に見られてしまう危険性を常に孕んでいるからだ。現場で挑発し、罵倒し続けるだけではレイシストとカウンターと警備による予定調和の中に組み込まれてしまうだけである。どちらに転ぶとしても状況は動かさなければならない。
それまでのカウンター行動でも短い時間での「(レイシスト)帰れ」コールはあったものの、この日の「ヘイトデモ中止」コールは、ほとんど途切れることなく1時間以上続いていた。
この日の新大久保には誰に指示されたわけでもない、自然発生的な、まさに「デモ」の現場が生まれていた。
状況を動かせ、デモを中止しろ、デモの許可を下すな、というわけだ。
その意味でこの日の新大久保でのカウンター行動はレイシスト対カウンターというよりも、いつも以上にカウンター対システム(為政者、警備)の構図が色濃かったと言える。
ちなみに今回の排外デモは卑劣にも子どもたちを標的にした「東京韓国学校無償化撤廃デモ」と銘打っている。しかしいつもながら何を言っているのか、何を主張しているのかわけのわからない、しょうもないデモだったのは言うまでもない。
レイシストに(東京の場合)新大久保を歩かせないということが、まず彼らに差別行為を止めさせる前提にある。これまでもカウンター参加者は新宿区や公安委員会に向けた署名活動などでの関係各所への抗議、さらに現場の警察官、機動隊の一人ひとりに「ヘイトデモ中止」を訴え続けている。
決してレイシストを直接罵倒することだけが目的や手段ではないのだ。
瀬戸弘幸による大動員の排外デモが行なわれた6月30日には職安通りの車道にまでカウンターが溢れ、ひとりの男性がこの日と同じ場所でシットインを強行した。
そしてその日を境にこの2ヵ月、新大久保で排外デモは行なわれなかった。スタート地点に設定される大久保公園が夏場のイベントシーズンだったこともあるけれども(レイシストには夏場のデモに耐えられる体力がないということもある)、それはそれでカウンターの初期の目標は達成できていたのだ。
しかし信じられないことに新大久保での排外デモはまたもや許可され、一部で予想されていたことだとはいえ新大久保での排外デモは復活してしまった。この日のカウンター行動が、レイシストにだけ向けた抗議というよりも、それを許してしまった為政者や、個人の感情はともかく許可されてしまった以上はいくら差別的なデモでも粛々と実行させる警備に対して、より強い調子で向けられたのは当然といえば当然である。
無論レイシストたちへの抗議も生卵やペットボトルが投げつけられたようにエスカレートしていく。
職安通りでの2度のシットインが排除されたあと、路地を通って大久保通りへ先回りした。
明治通りと大久保通りの交差点には同じようにカウンターが集結し、警備の指揮車が大久保通りへ左折する前に50人ほどのカウンターが一斉にシットインを開始した。
職安通りのシットインでは、抱えたカウンターを概ね「優しく着地」させていた機動隊の諸君も、シットインがここまで大人数になるとずいぶん扱いが荒っぽい。さらにごつい靴で背中に蹴りを喰らわす。興奮した警官や公安もカウンターの服を引っ張り、身体を引きずり回す。
カウンターに参加するときは基本的にトラメガ以外は手ぶらのオレも、今回は携帯電話の類までコインロッカーに預けてきたのだけれども、身体を逆さにされた瞬間ポケットに残っていた小銭を車道にぶちまけた(みっともねえ)。
それでも一旦排除されてもカウンターは次々とシットインの列の後ろに回り込み、また車道に座り込む。
10分ほど、カウンターと警備の間でそんな攻防が続いた。このシットインを受けて、その後、大久保通りを通る排外デモの隊列の前には、それと同じか、それ以上の人数の機動隊の隊列が組まれた。それは実に異様な光景だったと思う。
そして排外デモが新大久保駅前を通過したあたりで、生卵が2個投げつけられた。ひとつはレイシストに当たり、ひとつは気の毒な機動隊員に当たった。
これが東京での五輪開催が決まった日に、その東京で行なわれたレイシストのデモなのだ。
こんなものが許されていいわけがない。こんなものが許され続ける以上、まずオレたちは連中の「出口」や通り道に座り続ける。そしてこんな状況がまだ許され続けるのならば、挑発や侮蔑の言葉だけではなく、「言葉じゃないもの」が飛び交い始めるのも近いのかもしれない。
カウンター終了後、ATS君のTOKYO AGAINST RACISMのTシャツが派手に茶色に染まっていた。流血でもしたのかと思い聞いてみると、誰かがデモに向けて投げつけたペットボトルが降りかかったのだという。
スリキズ程度ならともかく流血の騒ぎはまだ起こってはいない。起こっていないうちに止めるべきだろう。