徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

そしてオレたちは声を上げる/差別撤廃 東京大行進

2013-09-23 14:40:48 | News


昨日は差別撤廃 東京大行進、いよいよ本番。
木野トシキ率いるTokyo Freedom Marching Bandの「自由への賛歌(Hymn to Freedom)」と「勝利をわれらに(We Shall Overcome)」や、第一梯団の先頭を歩くスーツ軍団の迫力やサウンドカー、ドラァグクイーンたちの華やかさは言うまでもない。またデモ出発前と職安通りで空に放たれた風船は実に感動的なヴィジュアルになっていたと思う。
結果的に初めての開催にして3000人近い参加者が新宿の街を歩き、政府に対して<国連人種差別撤廃条約を誠実に履行する>よう求めた。
「東京」の面目は立った。誰が見てもこれは大成功だっただろう。大行進の大成功を受けて、後日政府をはじめとした関係各所に要望書が提出される。

ワシントン大行進へのリスペクトと連帯を表明しドレスコードを掲げた第一梯団、サウンドカーの第二梯団には、ネトウヨによる不穏な行動に関する情報も流れていたので、ひとまず第二梯団の最後尾付近で待機…していたのだが、第二梯団はどんどん参加者が膨らみ始め、結局梯団はふたつに分割され、第三梯団の後ろに急遽「第四梯団」が編成された。
第四梯団には、大行進の盛り上げ役であるマーチングバンドもサウンドカーもドラァグクイーンもいない、実行委員会の「演出」は及ばない梯団になってしまったわけである(ギターの兄さんとラッパ吹きのおじさんやアナーキスト旗軍団はいた)。
こうなると、どうしたって自分たちが声を出すしかない。
都庁を抜けたあたりからひとりの男性がコールを始め、周囲の人間が呼応する。オレもそれに併せてコールし続ける(この男性は職安通りで喉が潰れた)。
「差別をやめろ(やめよう)」「一緒に歩こう」
という2つのシンプルなコールだけをひたすら叫ぶ。感動的なヴィジュアルもいいのだけれども、まずは参加者それぞれの自発的な行動である。
ダイレクトでストレートな「差別をやめろ」というコールはともかく、「一緒に歩こう」という言葉は正直言って気恥ずかしく、自分のキャラクターにはない言葉なのだが(笑)、コールし続けるうちに“自分の言葉”になっていった。
「一緒に歩こう」というコールは、勿論目の前を通り過ぎるパレードへの参加を呼びかける言葉ではあるのだけれども、それだけではなく、ループし続けるうちに「共生」をただシンプルに呼びかける言葉になっていく。
新宿駅前に差し掛かるまではどうなることかと思ったのだが(トラメガ、コーラーの派遣要請をツイートした)、これはこれで実にオレ好みのプリミティブな集団になったのではないかと思う。
これにはTwitNoNukesのデモを思い出さずにはいられなかった。
区役所通りに入ったあたりからはパーカッションも聴こえ始め、コールは徐々に熱を帯びていく。

予想されたネトウヨ、ヘサヨによる妨害はほとんどなかった。
勿論現れなかった、というわけではない。キャスターに巨大なトラメガを乗せて現れたヘサヨは集会前に近くの陸橋で街宣を始めるという相変わらずの便乗っぷりを見せたもののすぐに“排除”された。また小滝橋通りでは第二梯団に向かってビルの上から生卵が投げつけられたという。
しかしはっきりと、カウンターといえるものは新宿駅前でプラカードを掲げた女性だけだったのではないか。
これは実に情けなかったと言わざるを得ない。勿論悪質な便乗や妨害はなくていいものだし、そんな連中には毅然とした態度を取っていくけれども、それにしても吐いた言葉は実行しなければ、それは単なる恥知らずである。
オレは言い続けたいし、そのために実行し続けたい。

その夜、新大久保のカウンターの“拠点”である大使館で関係者、参加者による打ち上げが行なわれた。
NHKの7時のニュースで大行進が大きく取り上げられ、店内はこの日一番というぐらいに沸き立った。
熱かったね。その後、呑みすぎたけれども。

(追記)
柏木公園前の居酒屋でひと休みしたあと皆で新大久保の大使館へ歩いて移動した。
小滝橋通りから職安通りへ曲がったあたりで誰かがしばき隊初出動のときのことを話し始めると(ちょうどクルーが展開されたあたり)、カメラマンのロディさんがガード下の路地に入っていく。
いまだにガード下付近の壁にはレイシストたちの落書きの痕跡がしっかりと残されている。
打ち上げに向かう途中で、その呪詛のような「落書き」を皆で見た。この日は皆の笑顔をたくさん見ることができたけれども、実は、「祭り」の達成感にはまだ程遠い。

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