コールというのはレスポンスがなければ成立しない。レスポンスをして、そしてレスポンスをし続けて、仲間を集めて自らコールし始めたのが日下部将之さんだったのだと思う。反原発から反差別、反安倍内閣と、彼は3.11以降の運動を体現し、愚直なまでに押し広げてきた男だった。
2017年7月、都議選の応援に来ただけの安倍晋三から「こんな人たち」のひと言を引っ張り出した1日の秋葉原での街宣抗議から、9日に行われた「安倍政権に退陣を求める緊急デモ・MARCH FOR TRUTH」に至る一週間は3.11以後の総決算とも言うべき巨大なデモになった。9日に中心となって参加したデモグループは「未来のための公共」、「エキタス」、「怒りのドラムデモ」、そして日下部さんたちは「怒りの可視化」でデモの隊列を編成した。コール中心、と言うよりもコールのみ。怒声のみ。壮観だった。平野太一が制作中だった映画『STANDARD』の最後のクライマックスとして描かれるのがこのデモであった。これで安倍は終わったと思った。終わったはずだった。いや、終わっているのだが。
それから3年、ほとんど砂上の楼閣となりながらも、安倍内閣は信じられないことにまだ続いている。そして、それから3年、官邸前で、国会前で、そして路上で、ニュースになったりならなかったり、それでも最前線で怒りを表明し続けたのは日下部将之とその仲間たちだった。
日下部さんとは一回だけサシで、「取材」したことがある。平野太一が映画の編集で四苦八苦していた時期に、同時並行で参考になればと個人的に知人のプロテスターに声をかけ、話を聞き続けた。そのひとりが日下部さんだった。こんなことになるとは思いもよらなかったが、しっかりと彼の言葉を残しておかなければならないと思っていたのだろう。形にしておかなけばならない言葉がまたひとつ増えた。
今日、最後に顔を見に行ってきた。いまだに信じられず、現実感もないが、明日はお別れです。
最後の歌はblackbirdはどうだろうね、日下部さん。