「名前を『家庭だんらん法』にしろと言ってある」(舛添要一厚生労働相)
昨日、露出度の高い服を着て飛行機に搭乗しようとした女性客をアメリカの航空会社が搭乗拒否したというニュースが流れていた。まァワイドショーでは冗談めかして伝えていたが、こういう搭乗拒否の発想の行き着くところは、どうしたって国民服であり、人民服である。そして、やはりそれはジョージ・オーウェルの『1984年』の世界である。
そして日本でもへんてこなニュース。言い替えはともかく、何でわざわざ「家庭」の「団らん」まで法律で定められなければならないのか。健康増進法並に意味不明な、余計なお世話な法律である。
個人的な不快でしかなかったものが、ヒステリックな声で叫ばれ、いつの間にかどこかにいる「みんな」の不快になってしまう。心のどこかで、そう思っていた人々はそれを「当然かもしれない」と受け入れてしまう。そしてそれがいつの間にか「常識」になる。
法律はそんな庶民の揺れ動いていた感情論(それを人情と呼ぶ)の担保になる。担保になった法律によって僕らの感情はもう揺れ動かなくなってしまう。揺れ動くのが人間ってもんなのに。
これも80年代ブームだからか。
ヤダネェ~(風藤松原風)。
ユーリズミックスが聴きたくなった。
昨日、露出度の高い服を着て飛行機に搭乗しようとした女性客をアメリカの航空会社が搭乗拒否したというニュースが流れていた。まァワイドショーでは冗談めかして伝えていたが、こういう搭乗拒否の発想の行き着くところは、どうしたって国民服であり、人民服である。そして、やはりそれはジョージ・オーウェルの『1984年』の世界である。
そして日本でもへんてこなニュース。言い替えはともかく、何でわざわざ「家庭」の「団らん」まで法律で定められなければならないのか。健康増進法並に意味不明な、余計なお世話な法律である。
個人的な不快でしかなかったものが、ヒステリックな声で叫ばれ、いつの間にかどこかにいる「みんな」の不快になってしまう。心のどこかで、そう思っていた人々はそれを「当然かもしれない」と受け入れてしまう。そしてそれがいつの間にか「常識」になる。
法律はそんな庶民の揺れ動いていた感情論(それを人情と呼ぶ)の担保になる。担保になった法律によって僕らの感情はもう揺れ動かなくなってしまう。揺れ動くのが人間ってもんなのに。
これも80年代ブームだからか。
ヤダネェ~(風藤松原風)。
ユーリズミックスが聴きたくなった。
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