昔の「噂の真相」を読んでいたらタカ派/ハト派という言葉が頻繁に掲載されている。休刊は丁度10年前、ほんの十数年前の雑誌である。タカ派/ハト派というのは、一方からもう一方へ向けたイデオロギッシュな罵倒というよりも、あくまでも客観的なスタンスに対する評価<レッテル貼り>でしかなかった。
いまや決め付けと罵倒の同義語と化してしまった「レッテル貼り」だが、オレたちにとって主張するということは、極端に言ってしまえばレッテルを貼り合い、そしてまたレッテルを剥がし合うということでしかない(これが冤罪となれば話は深刻なのだけれども)。
本来あからさまな「タカ派」であるはずのネトウヨは、自分たちこそ「中道」であり、「普通」であると盛んに主張する。自分たちの主張とは相容れない人間たちは、それ故に「極左」と彼らから断定される。とにかく、何が何でも自分が中心にいるのだから、そういう見方もできないことはない。しかしハトでもなく、左翼でもなく、いきなり極左である。そんなアホな発言には対して、10年ほど前の2ちゃんねるなら、
「お前、本当に極左の意味わかってる?」
とレスしたものだが、しかし彼らにとって意味や位置づけやリアルの「極左」などはどうでもいいのだろう。とにかく絶対的に自己を中心に据えた世界観を頑なに譲ろうとしない。
もはや10年前の言葉になってしまったが、これはやはり<セカイ系>という他ない。
<主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと>(「波状言論 美少女ゲームの臨界点」)
ネット界隈でこの言葉が登場したのは2002年10月下旬だという。2003年から2004年にかけてこの言葉はアニメ、ライトノベルの世界を中心に一般化する(それなりに)。
そして2003年には『世界の中心で、愛を叫ぶ』が100万部を突破し、翌年にかけて爆発的なベストセラーになっていく。
この辺りが「セカイ系=世界の中心」の臨界点だったのだろう。ネットの世界だけならば好事家の自虐で済んでいたのだろうが(まさに本来の意味での「中2病」のように)、矮小化された「世界の中心」がリアルに漏れ出してきている。
あの当時の批判や批評にもあっただろうが、改めて書く。
オレたちはどうしたって、いずれ気づくのだ。確かに「自分の世界」の中心は自分でしかないのだが、「世界」の中心はいくつも、無数にあって、それはいつだって自分だけではどうしても成立していないことを。
そんなものは小学生でも気付くことだろうと思う。
<7日の参院予算委員会で民主党の鈴木寛氏が、在日韓国・朝鮮人を対象とした排斥的なデモが国内で横行しているとして、安倍晋三首相に見解をただした。(中略)デモは「コリアンタウン」として知られるJR新大久保駅周辺などで今年2月ごろから行われている。首相は「他国や他国の人々を誹謗(ひぼう)中傷することで、われわれが優れているという認識を持つことは間違っているし、結果として自分たちを辱めていることにもなる」と強調した。>(時事通信2013年5月7日付)
いまや決め付けと罵倒の同義語と化してしまった「レッテル貼り」だが、オレたちにとって主張するということは、極端に言ってしまえばレッテルを貼り合い、そしてまたレッテルを剥がし合うということでしかない(これが冤罪となれば話は深刻なのだけれども)。
本来あからさまな「タカ派」であるはずのネトウヨは、自分たちこそ「中道」であり、「普通」であると盛んに主張する。自分たちの主張とは相容れない人間たちは、それ故に「極左」と彼らから断定される。とにかく、何が何でも自分が中心にいるのだから、そういう見方もできないことはない。しかしハトでもなく、左翼でもなく、いきなり極左である。そんなアホな発言には対して、10年ほど前の2ちゃんねるなら、
「お前、本当に極左の意味わかってる?」
とレスしたものだが、しかし彼らにとって意味や位置づけやリアルの「極左」などはどうでもいいのだろう。とにかく絶対的に自己を中心に据えた世界観を頑なに譲ろうとしない。
もはや10年前の言葉になってしまったが、これはやはり<セカイ系>という他ない。
<主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと>(「波状言論 美少女ゲームの臨界点」)
ネット界隈でこの言葉が登場したのは2002年10月下旬だという。2003年から2004年にかけてこの言葉はアニメ、ライトノベルの世界を中心に一般化する(それなりに)。
そして2003年には『世界の中心で、愛を叫ぶ』が100万部を突破し、翌年にかけて爆発的なベストセラーになっていく。
この辺りが「セカイ系=世界の中心」の臨界点だったのだろう。ネットの世界だけならば好事家の自虐で済んでいたのだろうが(まさに本来の意味での「中2病」のように)、矮小化された「世界の中心」がリアルに漏れ出してきている。
あの当時の批判や批評にもあっただろうが、改めて書く。
オレたちはどうしたって、いずれ気づくのだ。確かに「自分の世界」の中心は自分でしかないのだが、「世界」の中心はいくつも、無数にあって、それはいつだって自分だけではどうしても成立していないことを。
そんなものは小学生でも気付くことだろうと思う。
<7日の参院予算委員会で民主党の鈴木寛氏が、在日韓国・朝鮮人を対象とした排斥的なデモが国内で横行しているとして、安倍晋三首相に見解をただした。(中略)デモは「コリアンタウン」として知られるJR新大久保駅周辺などで今年2月ごろから行われている。首相は「他国や他国の人々を誹謗(ひぼう)中傷することで、われわれが優れているという認識を持つことは間違っているし、結果として自分たちを辱めていることにもなる」と強調した。>(時事通信2013年5月7日付)
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