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0309NO NUKES DAY 原発ゼロ★大統一行動の請願デモに参加した後、Peace On Earthが行われている日比谷公園へ向かった。
公園のステージ前に着いたとき、ちょうどBRAHMANのステージが始まろうとしていた。とりあえず、できるだけ前に進む。
最後の一曲を前に、TOSHI-LOWの“最後の長いMC”が始まった。
3年経って、オレは変わったのか? オレは成長したのか?日本の社会は変わるのか? 原発は止まるのか?
TOSHI-LOWは言う。SUGIZOがハイスタの曲をやったり、楽屋に教授がいて談笑している。楽屋では3年前には想像もできなかったことが起きている。これが3年経ったということ。3年経って、これが“最後”ではなく、ここからまたスタートですること。ステージ、ステージ脇、そしてステージの前に集まって支えてくれた人たちがいたこと。
3年後に何らかの結果を求めるよりも、3年という月日が過ぎて、3.11前には思いもよらなかった関係が生まれていたことの方が余程重要なことだろうと思う。
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3.11を風化させないためと言い、被災者に聴いてもいないラジオを聴かせてドキュメンタリーを作った演出家がいる。風化はなぜ起こるのか。演出家は風化させないためと言って、よりわかりやすく、聴いてもいないラジオを聴かせて被災者への共感と感動を演出するわけだが、それは被災者を固定化させる予定調和に過ぎない。
「風化を防ぐ」というのならば、共感や感動を演出してフィルムに刻み込むよりも、どうしたって変わり続ける、今を伝え続けるしかない。
誰だって変わらないわけがないのだ。オレも3年前と同じように、請願デモの最後尾で歩いたけれども、そこでは3年前と違う風景が見え、年月が経ったことを実感させた。何が変わって、何が変わらなかったのか。そんなことを考えながら歩いた。
3.11以降、反原発からいくつかのイシューが生まれ、いくつもの新しい関係が生まれた。それは3年前には考えられないことだった。いくつものイシューと関係を積み重ねながら、この日のデモを歩きながら見えてきた風景は、2014年の「3.11」としか言えないものだったと思う。たとえ「変わった」としても、しかし、それは風化とは違う。
ます、あれから3年経った、そのことを噛み締めている人には見えているはずだ。
今、立ち向かうべき先は見えている。
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BRAHMANのライブが終った後、彼らのタオルマフラーを求める人たちの長い列ができていた。それが反原発や被災地復興のためのデモの隊列につながっていくことを想像した。そうなってくれたら嬉しい。
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