早朝の、中央線
貴重な?普通列車の中津川行に乗りました。
半日だけのゴールデンウィークの、私流の過ごし方。
10両編成でガラガラ、のんびり走る普通列車は、1時間半かけて中津川を目指します。
(瑞浪駅にて、特急列車退避中(名古屋を30分後に出る特急に抜かされる。。))
終点の中津川まで乗り通し。時刻は朝8時。
私の今作っているモジュール、恵那峡交通線ですが(↓)
モデルとしたのは実在した「北恵那交通」線。
その北恵那交通、廃止から40年近く経った今でも遺構がわんさか残っているとのことでしたので、
今回、モジュール作成の参考に、現地の空気を吸ってこよう、ということで
最寄り駅から始発電車に乗り込んだのでした。
そうなんです、廃線になった鉄道を見に行くため“だけ”の旅なのですw
さて、中津川駅を降りて、地下道を駅裏へ出ると、早速
においますねぇ、両脇の建物や道路配置が、駅前っぽいです。
正面の名鉄協商が、起点の中津町駅の跡、だそうです。
正面にでん!と駅舎兼本社があったはず。
(当時の様子などは、リンク先→http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/kitaena-tounou/kitaena2.htmlなど
Web上に様々な写真がありますので、並べてご覧いただくと、イメージしやすいかと思います)
この駐車場の場所が中津町駅でした、とのことです。
面影は…
なるほど、確かに北恵那鉄道だ
駐車場端には、国鉄中津川駅への連絡線跡。
俯瞰、全体の位置関係
ごちゃごちゃっとした古い街並みと、王子製紙の間にぽっかり空いたスペースが中津町駅ですね。
かまぼこ屋根の倉庫?は、古い写真に写っているので当時からのものだと思います。
真ん中の道路は最近できたもだと思いますが、ぐにゃりと曲がっているのが意味深ですね。
王子製紙の脇、これは完全に軌道跡でしょう。
中津町駅を一通り写真を撮ったら、次を目指します。
軌道跡に並行する道を5分ほど、すぐに木曽川に到達。
結構アップダウンが激しくて驚きました。“日本一高くて日本一遅い”と揶揄された北恵那鉄道、結構なところに線路敷いてるんですね。。
木曽川の『玉蔵橋』に到着。
ここで、左を向くと…
はい、こちら
北恵那鉄道最大の遺構、木曽川橋梁に到着です。
今にも電車が走ってきそうな
40年経ってもしっかり健在。
鉄橋自体は大正生まれで、東海道線のどこかで使われていたのだそう。
珍しい構造ですね。
玉蔵橋の上は、北恵那鉄道から社名が変わった北恵那交通が
ほぼ線路跡に並行して路線バスを走らせています。
ちょうどバスがやってきたので後ろからパチリ。
この玉蔵橋自身も、1960年代に架橋された
なかなかの年代モノ。
北恵那鉄道全盛期から存在しているので、この場所で撮られた電車の写真もたくさん残されています
(リンク先など見ていただければ)
玉蔵橋と木曽川橋梁、仲良く並んで架かってます。
木曽川橋梁の近くに行ってみます。
ゴツいね
意外と近くで見れる場所がなく
この角度で精いっぱいでした。
廃鉄橋には見えませんな。
てくてく歩いて鉄橋近くに来ました。
築堤脇には遊覧船の乗船場がありましたが、休止されたようです
年季の入ってそうな看板ですね。
木曽川橋梁をしこたま眺めたので、次のスポットへ。
こんな感じの田舎道が続いてます、いい雰囲気の場所ですね。住みたい。
奥の山は“苗木城”というお城があった、その名も「城山」
この苗木城はなかなか見事な山城で、すごいです。国の史跡。
今日は見に行きませんでしたが…。
城山近くになると明るい雑木林に入ります(左の石垣が意味深ですネ)。
その先に…おっ
おおおっ
これはまた立派な廃鉄橋です。
見事!としか言いようがない
普通の廃線跡なら『最大の遺構』レベルのガーダー橋
写真以上に、すんげー高いです。
某ヨッキさんが好きそうw
位置関係をおさらいするとこんな感じでした。
模型にしたいなぁ(川を)
滞在約2時間でしたが、大満足のトリップでした。
しかし、廃鉄橋と駐車場を見るためだけに中津川まで行くというのは、我ながら…w
(写真の北恵那バス、馬籠宿行ですが、外人さんがたくさん乗っていきますね。会社が盛業中で何よりです)
-以下参考-
北恵那鉄道 現役時代写真(鈴木写真変電所 様HP内)
http://www.filmscan-print-s.com/0523-KITAENA-01.html
ローカル線「北恵那鉄道」廃線記録8mm映画