ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

文化文化文化

2009-03-01 21:40:17 | 寓話集まで
ブンカブンカブンカ
らっぱらっぱら
ブンカブンカブンカ
らっぱらっぱら

東京といっても一筋縄ではいかない
東京のまねをしてもだめだと
東京人は良く言うが
でも東京ってなんだろう

日本中のまちに銀座がある
東京の二十三区内にも
中央区の銀座以外にずいぶん銀座がある
東京には渋谷原宿六本木があり
青山赤坂があり
下北沢代官山があり
浅草上野があり
谷中根津千駄木があり
葛飾柴又巣鴨がある
練馬板橋赤羽千住もある
成城自由が丘田園調布とか
新宿池袋はいうまでもない
ひとこと東京といっても幅が広い奥が深い
真ん中にはよく分からない森が空虚のように存在する

東京のまねと言われても
さてどんな東京のまねなのか
それにしても
良くできたまねなら
それはそれでいいんじゃないの

たとえば
日本に京都も多い
多少とも由緒ある歴史のまちが
どの程度の歴史かはさておき
小京都となるらしい
どうやら
京都のまねなら評価は高いらしい
気仙沼で京都のまねしてもしょうがないけど

ブンカブンカブンカ
らっぱらっぱら
ブンカブンカブンカ
らっぱらっぱら

むかしから
文化は中央から辺境に流れるときまっている
辺境の文化は辺境にあるだけでは文化にならない
いったん中央のフィルターを通らないと文化に成り上がることができない
中央とは有り難いものだ
中央のまねをしたって構わないじゃないか
中央のまねせずにいいものなんかあったためしがない

ブンカブンカブンカ
らっぱらっぱら
ブンカブンカブンカ
らっぱらっぱら

気仙沼が気仙沼だけで充足しているならなにも言うことはない
しかし
他の地域と交通が始まったとたん
どこかに中央が存在しはじめる
ほんとうは中央は地理的具体的な東京ではないのもしれない
日本中に偏在しているのかもしれない
もちろん
ニューヨークかパリか北京かバグダッドかという議論は置いておくとしてだが

地域が地域として自足しているならなにも言うことはない
しかし
どんな地域もひとやものや情報の交通なしには成り立たない
交通に一定の共通語は不可欠である
どこかに中央は存在してしまう
中央は何処か
東京か
東京の千代田区か
霞が関か永田町か本郷か新宿か渋谷か銀座か臨海副都心か
コンピュータのネットワークの中か
TV局か新聞社か出版社か
女子高生か
ひとびとのイメージの中か

京都か大阪か
気仙沼か
日本の何処でもか

ブンカブンカブンカ
らっぱらっぱら
ブンカブンカブンカ
らっぱらっぱら


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1 コメント

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文化論、東京論 ()
2009-05-27 00:25:02
 文化とは何か?東京とは何か?中央とは何か?
 渋谷原宿六本木というのは、その昔、カッコマン・ブギ(たぶん)という曲があって、宇崎竜童のやってた何だっけ、ダウンタウン・ブギウギ・バンドだったけ?その出だし。
 東京の地名の羅列も詩になっている、と思うんだけど、いかがでしょう?この配列も、もちろん、意味があります。
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