塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

クラブと代表のバランス

2011-06-15 23:43:22 | 日記
 本田圭佑がロシアリーグで2戦連続となるゴールを決めましたね。

 2戦のゴールのいずれもがダイナミックなもので、本田自身大きな手ごたえがあったの
ではないでしょうか。

 ただ日本代表の主力が所属クラブでゴールを量産すると、決まって

 「どうして彼らは日本代表の試合では、ゴールを奪えないのだろうか?
  監督は彼らがリーグ戦で結果(ゴール)を生んだからこそ、呼んだのだろう?」

 訝しがる声が挙がります。

 例えば僕の父がそうですね。

 確かに父の気持ちがわからないわけではありません。

 アジアカップ決勝で見せた季忠成のような、美しいゴールを代表でも観たい!!という
のは、日本代表を応援している者ならば、皆が願っていることです。

 やはりどんなに優れた選手たちが代表として集っても、毎日顔を合わせ戦術面で

 「意志統一」

 言い換えれば約束事を確認できるクラブとは、勝手が異なるというわけなんでしょうね。

 実際スペインが2008年以降常に好結果を残せているのは、代表の中軸の多くがバルセ
ロナであり、アラゴネスにしてもデル・ボスケにしても、念頭に置くサッカーをバルセロナ
のような

 「中盤でのパスワーク」

 に求めていることから、結果的に選手達が

 「やりやすさ」

 を実感しているのだと思います。

 日本もJ1の選抜の比率よりも海外リーグの重要性が増してきた以上、時差の解消と選手
の体調管理が、今まで以上に求められます。

 ジーコの時は

 「ジーコは明らかに海外リーグの選手達に頼りすぎている」

 と非難の声が挙がりましたが、ザッケローニ監督はJ1の選手をうまく使いながら、同時に
海外リーグの選手達を尊重する

 「平衡感覚」

 が求められています。
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言葉が通じた時に嬉しさ

2011-06-15 23:31:08 | 日記
 今日も海外のお客様と英語と日本語を交えて話をする機会に恵まれました。

 こうして海外の方と話ができる機会があると

 「俺のやってきた勉強方法は、あながち間違いではないな。」

 と実感と手ごたえを掴むことが出来ます。

 僕の勉強方法は

 「英語、イタリア語、そして漢字を毎日それぞれ5分行う」

 というもので、自分では「5分間ドリル」と呼んでいます。

 1日それぞれを1時間やって間をあけるよりも、短い時間でも毎日行う方が、僕の肌に
合っている上、効率も良いよいように感じます。

 テキストを解いたり単語を記す日もあれば、CDで発声する時もあります。

 要は自分の肩に負荷をかけすぎないように自分で調整していることで、意図的に勉強しな
日もあります。

 感覚をわざと空けることで、自分自身の「やる気」を促しているんです。

 サッカー選手も語学が大事な要素となってきました。

 でも英語とスペイン語に絞って勉強したら、考えている以上の効果があると思います。

 スペイン語はイタリア語やフランス語と同様に

 「ラテン語」

 の直系に当たりますから、スペイン語がわかればリーガだけでなく、リーグ1やセリエA
でプレイする機会に恵まれた際、何の予備知識が無くとも言葉の面では不自由しないと思い
ます。

 欧州の選手が複数の言語を操ることが多いのは、それだけ使われている言語が似ていると
いう側面があります。

 大丈夫、間違っても現地の方は笑ったりしないはずです。

 「この日本人選手は頑張って私たちを話そうとしている。」

 そう思ってくれるはずですし、きっと語りかける言葉に耳を傾けてくれるはずです。
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ウクライナ、そしてポーランド

2011-06-15 02:26:04 | 日記
 ロマノフスキーやイビチャ・オシムの言葉に重みと裏づけが存在するのは、彼らが
それだけの長い間、サッカーに携わってきた証拠でもあります。

 しかし彼らの歩んできた人生には

 「戦争」
 「民族自決」

 といった、現代ではとかく忘れがちな「戦乱」を生き抜いてきたことも、その言葉の
節々から感じられることも事実です。

 特に旧ソビエトが崩壊後、その伝統を一身に受け継いだとされるウクライナにとって、
2006年のワールドカップ出場までに費やした

 「15年」

 という空白は、サッカー関係者の誰もが長く感じたに違いありません。

 2012年は隣国ポーランドと共に

 「欧州選手権」

 が開催される。

 首都のキエフ、そして良質の小麦が栽培されることで有名なドニエプロ以外の都市も、
数多くのファン、関係者が訪れるでしょうし、

 「シャフタル・ドネツク」
 「ディナモ・キエフ」

 以外のウクライナのクラブにも、代表選手を送り込む大きなチャンスでしょう。

 僕がウクライナ代表で今思いつくのは

 「シェフチェンコ」
 「ティモシェク」

 のふたりだけですが、2012年の夏以降、多くのウクライナの選手がファンに馴染みの
顔になっている可能性は、充分高いと言えますし、それはポーランドにとっても同じ期待だ
と言えるでしょう。
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監督業の奥深さ

2011-06-15 02:17:34 | 日記
 昨日は久々に

 「責任者代行」

 という形で仕事をしました。

 今は通常業務の他、「父の日」の商品陳列と包装依頼にも応対しないといけないため、
責任者クラスはいつも以上に周囲に気を配る必要があります。

 サッカーの世界で

 「経験は無いが、いずれは有能な監督になるであろう人物」

 に懐疑の面が向けられるのは、まさにこの

 「経験に裏打ちされない周囲への気配りが、果たしてどれくらいできるだろうか?」

 というものだと言えます。

 ですからグアルディオラ、ヴィラス・ボアスのように、若くして誰にでもわかる形で
結果が出たなら、その批判は

 「賞賛」

 に瞬間的に変化します。

 月曜日の「すぽると」で、ウクライナ・サッカーの父

 「ヴァレリー・ロバノフスキー」

 と愛弟子であるふたり、シェエフチェンコとセルゲイ・レバロフが登場しましたが、
彼らのような才能に満ち溢れた選手を

 「まっすぐ」

 に成長させるには技術指導だけでなく、監督がかける言葉も重要になります。

 ロバノフスキーには経験から得た言葉の「重み」がありましたが、駆け出しの監督にそれ
は存在しません。

 だからこそ

 「勝利」

 を積み重ねる事が、選手とファンへの「特効薬」となるのです。

 僕は代行の作業を考えられる上で広い視野をもって見るようにしていますが、監督業と
いうのは、つくづく選手以上に

 「心労」

 の濃い立場だと思います。
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