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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

海外の方との会話

2011-06-20 23:41:17 | 日記
 今日店で、

 「アルゼンチン代表」

 のジャージを着た男性の方から、洋服のお直しについて尋ねられました。

 僕の店には洋服のリフォームのお店があるので案内しながら、

 「お客様はアルゼンチンからいらしたんですか?」

 と聞いてみると、「カナダ出身」ですという、意外な答えが返ってきました。

 そのお客様は日本語が流暢で、僕が英語を使う機会はありませんでしたが、サッカーを
含むスポーツや語学に精通していると、人の心は豊かになることが改めて理解できました。

 長野はアイスホッケー場の

 「ビッグハット」

 がありまして、僕は何回かアイスホッケーの観戦経験があるので、日本でも

 「ウエイン・グレツキー」
 「マーク・メシエ」

 というカナダ代表選手のファンがいますよ。と伝えると、とても喜んでくださいました。

 カナダ出身なのにどうしてアルゼンチン代表のジャージを着ていたかまではわかりません
が、日本代表のジャージを着て歩いている海外の方を見ると、無条件で嬉しくなります。

 例えばロシアやドイツ、イタリアを歩いていて、

 「日本代表のサッカーが好きだよ。」
 「日本にはこんな名前のクラブがあったね。」

 と言われたら、悪い気はしませんし僕たちも自分が知る範囲でその国の歴史、サッカーの
ことを話したら良いと思います。

 会話も弾むでしょうし、異国での出会いが一層楽しくなると思います。
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監督と選手の関係

2011-06-20 23:29:21 | 日記
 皆さんにクイズを出したいと思います。

 「マルチェロ・リッピとロベルト・バッジョ」
 「ラファエル・ベニテスとマルコ・マテラッティ」
 「ヨヒアム・レーブとミハエル・バラック」

 今挙げた上記3組の指揮官と選手の間柄を、

 「漢字2文字」

 で答えてください。

 おわかりでしょうか。

 答えは「確執」

 です。

 これら3組に流れる空気は、どう贔屓目にみても芳しいものではありません。

 実際バラックはレーブ監督が彼をドイツ代表から外すという見解に、嫌悪感を見せて
いますし、バッジョとリッピの関係は、ユヴェントスでもインテルでも変化することは
ありませんでした。

 ただバラックの場合、彼やフリンクスの力を借りなくとも、代表は新たなステージで
勝てるとレーブ監督は

 「現実的」

 な判断そしたのでしょうが、バラックにはその方法に納得できなかったのでしょうね。

 ただバラック自身は今の代表が自分抜きでも充分機能することは、しっかりわきまえて
いると思います。

 こうした大物監督と主力の軋轢が発覚すると、周囲は面白がって盛んに書きたてますが、
サッカーであろうがなかろうが、

 「人はすべての人間と良好な関係は築けない。」

 という当たり前の出来事を、僕たちに知らせているだけだと思います。

 ただサッカーの場合は降格がありますし、代表もクラブと連動した関係があります。

 ですからクラブにしても代表にしても、対立が発覚すれば生み出される利益に限りが見え
ますし、何より周囲がいらぬ心配をしてしまいます。

 僕も会社の人間で

 「折り合い」

 が良くない関係の人間がいますが、時には大人の態度で静観することも必要だと最近
感じるようになっています。
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彼の名はアルフフェイディ

2011-06-20 01:44:44 | 日記
 ホームでてぐすね引いて待つクエート代表に対し、日本の若き選手達がどのように戦う
のか、僕は注目しています。

 僕はクエートは非常に

 「カウンター戦術」

 に長けたサッカーをする印象がありますが、皆さんはどうでしょうか?

 それは僕の頭の中で、クエートを代表する名FW

 「アルフフェイディ」

 の印象が今でも強く残っているためでしょう。

 1996年のアジアカップ、前回王者として防衛に挑んだ日本はクエートの鋭いカウンター
に破れ、王座をあっけなく失います。

 ベスト8での敗戦という結果以上に衝撃だったのは、クエート代表FW

 「アルフフェイディ」

 のカウンターに翻弄されいとも簡単に2失点を喫した事、そして常々言われていたように
日本の掲げる

 「ゾーンプレス」

 をアジア各国が加茂監督が考えている以上に研究していることが露になった点です。

 加茂監督は以後「3-5-2」と「4-4-2」の布陣を併用し、実質前者の割合が多く
なってゆきます。

 この当時の3-5-2はリベロを置いた旧態依然の布陣で、最終ラインからFWまでの距離が
非常に長く、加茂監督が提唱したゾーンプレスとは、考え方がまるで異なるものでした。

 またアトランタ五輪を経験した前園が以後代表を外れ、翌1997年には

 「中田英寿」

 が名波、山口と共に代表の中軸として活躍するようになります。

 この代表の転換期を語る上で、UAEで日本の前に立ちはだかったクエートは、ある意味敵役
ながら避けては通れません。

 15年前のような敗戦を喫しないよう、監督、選手達には用心して欲しいですね。
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アメリカに敗れた2000年の夏

2011-06-20 01:35:22 | 日記
 日本が1968年以降最も五輪のメダルに近づいたのは、2000年の

 「シドニー五輪」

 でしたが、8強でアメリカ代表にPK戦で敗れてしまいます。

 所属クラブのASローマへ合流するのを承知の上で参戦した中田英寿が、日本最後のPK
キッカーとして登場し、外してしまうという

 「はかない」

 敗戦でしたが、それ以上にファンの議論の対象になったのは、指揮官フィリップ・トルシエ
の選手交代と戦術でした。

 ではどうして皆が

 「腑に落ちない」
 
 と考えたのかと言いますと

 1・日本は延長戦を含むPK戦まで、交代枠を「2」しか使っておらず、交代枠の使い方
   ではPKまでもつれなかったのではないか。という疑念

 2・相手選手と激突し、流血したGK楢崎を交代させる必要は本当に無かったのだろうか?

 つまり2年後の宮城スタジアムで行われたワールドカップの16強

 「トルコ戦」

 と同じく、

 「やり方しだいでは勝てたかもしれない」

 という猜疑心、もやもや感が皆拭う事ができなかったんです。

 「トルシエは最後の交代枠を使わなかったのか、それとも動けなかったのか?」

 という厳しい指摘が浴びせられた事も事実ですし、あのアメリカ戦以降、アテネ、そして
北京と日本が五輪で結果を残すことは出来ないでいます。

 「史上最高の五輪代表」

 と勝手に持ち上げるのではなく、もっと今の彼らを落ち着いた状態で見つめるべきだと思い
ますし、むしろ今後の強化策も含めた議論をすべきではないでしょうか。
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