塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

PSG、低迷した2000年代

2011-11-09 23:39:38 | 日記
 近年PSGが低迷した背景には、

 「移籍市場での不振」

 が大きく影響していると考えます。

 確かにジュリ、マケレレというフランス代表経験者を招いた事は一定の効果があった
ように感じますし、ポルトガル代表FWペドロ・パウレタは成功例に入るでしょう。

 それでも

 ロナウジーニョ (ブラジル代表)
 ボナペンチュル・カルー (コート・ジボワール代表)
 ジェームズ・ロテン (フランス代表)

 と獲得した大物が、お世辞にも活躍したかといえばそうではありませんし、逆にクラブ
の雰囲気の重さが、彼らの活躍を遮ったのかもしれません。

 特にカルーに関しては、既に「オセール」でフランスの風土を知っていたことに加え、
彼の恩師であるギ・ルーが

 「カルーはきっと、パルク・デ・プランスの神になる!」

 と太鼓判を押した事も、ファンの期待を後押しする形になりました。

 カルー自身も首都のクラブでやれる手ごたえはあったと思いますが、リヨンの牙城を崩す
には至りませんでした。

 獲得した選手が活躍するには、クラブの方向性が定まっていることが大前提ですが、当時
のPSGはそうでは無かったようです。

 フランスのファンは

 「パリやマルセイユ、ボルドーなどが激しく競う合うリーグ戦を見たい。」

 と考えているようですから、首都の復権を喜ぶファンは、案外地方にも多いかもしれません。
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ハビエル・パストーレ、新天地パリで躍動

2011-11-09 23:30:43 | 日記
 招聘を検討したレオナルド、そして何よりパストーレ自身、こうもパリの水が合うとは
思わなかったのではないでしょうか?

 この若きアルゼンチン代表、しかしパリでは無名の存在という矛盾した間柄が

 「相思相愛」

 になるまでは全く時間がかからず、この美しい首都のサッカー・ファンは、華奢なこの
若者に夢中のようです。

 1990年代中期、PSGはナント、ランスなどと激しい優勝争いを繰り広げ、加えて
その美しい攻撃サッカーが、ファンの

 「自尊心」

 を満たしていました。

 中盤にはブラジル代表のふたり、ライーとレオナルド、FWにはアフリカMVPに輝く
ジョルジュ・ウエアのフランス代表のダヴィド・ジノラとパトリス・ロコ。

 その攻撃陣を陰で支えていたのがル・グエンでした。

 彼らが去った後も、ユーリ・ジョルカエフという若き俊英が活躍しますが、2000年代
に入ると、覇権は完全に

 「リヨン」

 の物になり、PSGは成績不振やたび重なる監督交代、そしてファンの暴動とネガティブ
な情報ばかり発信する形になります。

 90年代の美しい攻撃を知るファンは、あまりに体たらくな現状に我慢できなかったので
しょう。

 カタールの王室に買収され、往時を知るレオナルドがフロント入りした今季こそ、PSG
のファンが溜飲を下げる絶好の機会と言えます。

 宿敵のマルセイユが、デシャンの指導の下で

 「正しい強化」

 を歩んでいるのですから、尚更その気持ちは強いはずです。
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後継者という言葉の真意

2011-11-09 02:15:04 | 日記
 ちなみに日本とアルゼンチンは、「○○の後継者」を探すのが好きな国ですね。

 ここにフランスを加えても差し支えありません。

 日本 釜本の後継者
 アルゼンチン マラドーナの後継者
 フランス ジダンの後継者

 アルゼンチンは今、メッシという正解を得ようとしていますが、彼が代表で輝くにはもう
少し信望が必要かもしれません。

 そしてフランスではソショー所属の

 「マルバン・マルダン」

 の評価が鰻のぼりだそうです。

 日本も釜本、そしてカズに続くFWの成長が期待されていますが、アルゼンチンとフラン
すも、幾人もの

 「後継者」

 を囃し立て、そして断罪してきました。

 アルゼンチンでは古くはオルテガにガジャルト。近年ではテベスにアイマールなどが
マラドーナの後継者と呼ばれ、その比較に悩まされました。

 フランスもグリュキュフはかつての輝きが失われていますが、安易にジダンとの比較と
検討がされなければ、もっとのびのびとプレイができたかもしれません。

 こうした比較を楽しめる性格の人間、例えばフランスならばリベリーがそうでしょうが、
大抵に人間は

 「厄介」

 に感じるはずです。

 血縁や親子ならばまだしも、生まれも育ちも違う選手達を、後継者として扱う事を、僕
たちはもっとデリケートな問題として扱う必要があります。

 僕たちの身勝手な意見で、選手の未来を台無しにしてはいけませんから。
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混迷を極めるアルゼンチン代表監督の座

2011-11-09 02:07:32 | 日記
 ホセ・ペケルマン以降のアルゼンチンの代表監督選びは、日本の

 「民主党政権」

 と非常に似ていると思います。

 日本の首相の顔触れが短期間で変わることに、諸外国、そして僕たちは辟易していますが、
アルゼンチンではファンが

 「代表監督」

 が短期で変わることににうんざりしてます。
 
 現在のサヴェジ政権も、ファンの信頼をそれほど得られてはいないようで、短命に終わる
かもしれません。

 バシーレからマラドーナ、マラドーナからバティスタへ。

 そして現在のサヴェジ政権。

 例えばイングランドも代表監督の選定に苦労を重ねていますが、アルゼンチンの政権交代
の多さはある意味異常とも言えます。

 簡単に言えば

 「カルロス・ビアンチ」

 が再び表舞台に立てば、この問題は収束するのでしょうが、ビアンチはサッカー協会、
特に会長のグロンドーナとの折り合いが非常に悪いそうですから、彼の起用は無さそうです。

 一番困るのは、切り札と目されているビアンチが、このまま現場から長い間遠ざかるよう
であれば、彼に代表監督の要請が回ってきても、

 「試合勘」

 が鈍っているかもしれない点です。

 日本の首相候補には「切り札」すら見えませんから、まだアルゼンチンサッカーの方が
マシなのかもしれません。
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