塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

LEGEA、北朝鮮代表を支援

2011-11-15 23:33:10 | 日記
 北朝鮮代表のテクニカル・スポンサーは

 「LEGEA」

 ですが、リビアやキューバ同様、独裁を掲げ世界から異質の視線で見られている国を
サポートする事は、大きな勇気と決断が必要だったと思います。

 逆に言えば

 「スポーツと政治は別物」

 という格言を実行している形になりますし、その点がLEGEAの名声を高める形にな
るのでしょうが、余り宣伝には繋がっていないように感じます。

 僕の記億に間違いな無ければ、彼らは以前フィラ、ヒュンメルがテクニカル・スポンサー
に付いていたと思いますが、その時も

 「勇気あるなあ。」

 と思ったものです。

 選手が自分のラストと適合するスパイクを履くのは当然ですが、ブランドとしての心境は
どうなのでしょうか。

 そのブランドの本籍が北朝鮮の政治体制を批判しているようであれば、選手に何の問題
もないとはいえ、広報や本社に何かしらの批判が届くのであれば、内心穏やかではないで
しょう。

 しかし北朝鮮代表でも日本やドイツ、スイスリーグに在籍する選手もいますから、この
問題はきっと僕の考えすぎでしょう。

 今回の敗戦が、日本に良い教訓を与えた形になると良いのですが。
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北朝鮮が生み出した空気、それは異質

2011-11-15 23:23:51 | 日記
 敗れはしましたが、僕は北朝鮮戦の先発は非常に理に適っていたと考えます。

 「控えと主力の差が明らかになっただけ」

 という批判もありますが、監督はその点を重々承知しているからこそ、控えの選手たち
を起用したわけです。

 控えが実戦を積む機会が今回の一戦だったわけですから、上記の批判は的外れと感じま
す。

 勿論、勝利できなかったわけですから、手放しで賞賛はできません。

 でもあの金日成スタジアムに集まった北朝鮮ファンの醸し出す雰囲気は、何と表現した
ら良いのでしょうか?

 レプリカジャージやマフラーを着ているファンはどこにもおらず、いわゆる

 「人民服」

 と呼ばれる服を纏った観衆で埋まった観客席は、くすんだようにも見え、鮮やかさはさほ
ど感じられませんでした。

 この極限の状態と人工芝という不慣れな環境が、外的要因として日本を苦しめたのは確か
ですし、むしろここまでの雰囲気は

 「ソウル」

 での日韓戦でも得られないでしょう。

 アジアレベルではテヘランの熱気も凄いことで有名ですが、北朝鮮戦は女性の観客も
多かったので、また雰囲気が異なりました。

 アジア・チャンピオンズリーグでも、席が埋まるのは準決勝、決勝あたりからでそれ以外
の入りがさほどでもありません。

 ですから国内を主戦場にしている西川、栗原などにしてみれば今回の対戦はまさに

 「異質」

 の感覚だったのではないでしょうか。
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日本代表、平壌で決戦に挑む

2011-11-15 01:08:36 | 日記
 日付変わって今日15日、日本代表は北朝鮮代表で戦うわけですが、僕たちが考えるよ
りも人工芝は非常に

 「厄介」

 な存在のようです。

 近年は人工芝も随分と改良され、本物の芝の感触に近づいている模様ですが、平壌のそ
れはどうなのでしょうか?

 例えばロシア・リーグは厳冬のため、人工芝を導入していますが、それは最新型の人口
芝と推測します。

 古い人工芝は薄いシートを直接地面の上に敷いているだけですから、選手の足腰への負
担が非常に大きいわけです。

 オークランド・アスレチクスの松井秀喜選手が、2002年の冬にヤンキースに移籍す
る意志を固めた背景には、東京ドームの芝が人工芝のため、

 「天然芝」

 であるヤンキー・スタジアムでプレイするメリットを考慮したと言われています。

 それくらい人口と天然では、感触だけでなく体への負荷が異なるのですね。

 日本代表はかつて1985年と89年の2度、平壌での試合経験がありますが、大観衆
の視線だけでなく、人工芝の堅さに大きく戸惑った模様です。

 ザッケローニ監督が先発の11人とどうするかはわかりませんが、もし選手が負傷した
ならば、日本、欧州問わずクラブから大きな批判が押し寄せる可能性もあります。

 特に原口とハーフナーのふたりはクラブが降格危機にありますしね。
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贔屓の解説者を持つ利点

2011-11-15 01:01:05 | 日記
 歌舞伎やオペラのファンの方は

 「贔屓の役者を持つこと」

 を大変重要視されているようです。

 もちろん贔屓を見つけるまでには、時間と費用がかかるわけですが、見つけた以降はそ
の役者を通じて、より深く物語りの中に吸い込まれてゆくのでしょう。

 同じことはサッカーにも言えますね。

 僕はサッカーの場合は、役者よりも贔屓の「解説者」を見つけるほうが、賢明だと思い
ます。

 選手はやがて引退しますし、故障やカード累積で試合に出場できない時があります。

 加えて生観戦、テレビ観戦が常にできるわけではありませんから、贔屓の選手を得る事
は試合を観る楽しみは得られても、それ以上の奥行きを得るには、自分で必死になって
選手の情報を得る必要があります。

 解説者の場合は、その多くが自身の出演番組を持っていますし、最近はリプレイを効果的
に使う場面が増えましたから、

 「得点に結びついた場面」
 「失点した際の理由」

 を的確の述べます。

 ですから戦術については難しい指南書を読む必要が軽減されますし、解説者の口調や
ジェスチャーで、贔屓を見つけたらよいと思います。

 別にその方が、著作が多いとか番組出演が多岐に渡るということは、度外視しても良い
と思います。

 まず大切なのは自分と解説者の方の波長であり、自分の直感を大切にすべきでしょう。
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