塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

名手は優勝しなければ、存在価値は無いのだろうか

2014-10-09 23:24:42 | 日記
 村上春樹さんがノーベル賞を受賞できなかったことが、今大きく報道されています。

 僕が夕飯を食べていた17時ごろから、会社のテレビでは村上さんの受賞オッズや、受賞して欲しいファンの声を集めていました。

 僕個人は村上さんの著作は一冊も持っていませんし、新作を深夜にならんで買うこともありません。

 僕がこの受賞を逃したと言う報道を最初に聞いて思ったことは、サッカーで言うバロンドールの光景でした。

 確かにバロンドールは選手個人としては最高の名誉でしょうが、受賞できなくともノミネートされた選手たちが素晴らしい活躍を見せた事は間違いなく、クラブからすれは大切な財産です。

 近年受賞が叫ばれながら、除外となったのは

 ジャンルイジ・ブッフォン(イタリア代表)
 ティエリ・アンリ(フランス代表)
 フランク・ランパード(イングランド代表)
 ウエズリー・シュナイデル(オランダ代表)

 という具体例があります。

 ワールドカップ、国内リーグ、そしてチャンピオンズ・リーグ。

 参加する全てで素晴らしい活躍をすれば、確かに受賞の確立は高まるでしょう。

 でも、ファンからすれば、彼らがそこにいるだけで嬉しいものです。

 NBAで顕著なのが

 「全米王者に輝いた事が無い名手は名手をと呼ぶべきか?」

 というものです。

 チャールズ・バークリー、パトリック・ユーイング、そしてドミニク・ウイルキンス。

 ジョーダンがバスケットの代名詞であった1990年代は特に論争が激しい物でしたが、僕の結論からすれば

 「フランチャイズからすれば大切な選手の価値は素直に認めるべき」

 というものです。

 彼らが流した汗は尊いものですから。
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友人との押し問答より

2014-10-09 01:27:08 | 日記
 僕には出会って25年になる友人がいます。

 彼は横浜在住で教員をしており、年に何度か千曲に帰省した際は時間を見つけてお互いが近況を報告します。

 その際、僕はよくこんなことを話します」

 会話例その1

 「僕たちは幼いころ、使ったもの、見た物は同じところに返却しましょう、そう教育を受けたね」
 「そうだね、塚田君の言うとおりだよ」

 「俺の店さ、一度手に取られたであろう商品の多くは、てんでんばらばら、場違いの所に置いてある、陳列を乱すのは当たり前という感じなんだけど、これ、自分が受けてきた教育を放棄しているよね!!」

 会話例その2

 「学生時代、ゴミ問題に取り組んだね」
 「ああ、新聞や空き缶をリサイクルにだして、美化活動を推進したね」

 「俺の働くスーパーは、床にも植え込みにも空き缶、ビニール袋、吸殻が毎日のように落ちているわけ、教師や両親は子供の手本になるべきなのに、そんな馬鹿なことして、よく教育を与えられるね」

 「子供もよくおまけを盗むけどね、教育とは一体何だろうな?」

 こういう話をすると、彼は反論もしますし、黙って茶をすすることもあります。

 長野パルセイロは今選手の奮闘の下、J2で来季戦える可能性が膨らみましたが、ファンのマナーが悪ければいくら選手が頑張っても、何の意味もありません。

 ブラジル・ワールドカップでも

 「ファンがゴミ拾いをする姿」

 が脚光を浴びましたが、僕たちが「本当に」受けてきた教育が正しければ、本来どの国にもゴミは置いていないものなですが。

 皆さんが勝手に落とした、捨てた場所が綺麗なのは僕たちが清掃しているからで、責任を押し付けているだけにすぎません。

 これは僕も自分に戒めの意味で書きましたが。
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仕事が出来る人間にこそ労いの声をかけるべき

2014-10-09 01:18:26 | 日記
 僕は主任に対し

 「今日も大変でしたね」
 「先ほどの件は大丈夫ですか?」

 と労いの声をかけます。

 それは主任の方も

 「塚田さん、本当に疲れましたね」

 と労わってくれるためですが、何よりも僕自身が

 「仕事ができる人間にほど、ねぎらいの声をかけるべき」

 と思うためです。

 一般的に、どんな職業でも要職、役職についている人間ほど仕事ができ、高い報酬をもらっているのだから、仕事はやって当然という風潮があります。

 でも、実生活でもサッカーでも人間はミスをし、肩を落とす方が普通なのですから、僕たちが主任や課長を労わることで、彼らが僕たちを労わるという循環は生まれると思うのです。

 サッカーでは監督、選手、ファンが時に諍いを起こします。

 一方で書店の棚には

 「他人に敬意を払いましょう」
 「他人の良い所を認め、声に出して褒めてあげましょう」ぜった

 という謳い文句の書籍が、これでもか!と並んでいるのは何故でしょうか?

 僕にも有難いことに、行きつけの店がありまして、塚田さんと声をかけて頂くことがありますが、僕は甘えすぎないことがより長く続く大原則だと思います。

 「僕はこの店でこんなに金を使った」
 「だから優遇しろ」

 と言う態度こそ、絶対にしてはいけないものですし、店には出来ない事、他社のサービスを比較したければ余所に行けと思われてしまいます。

 バーバプラハのように脅しで金品、チケットを得る集団が有名ですが、アルゼンチンも本当に困っていますからね。

 
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