塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

今のJに求められる物、それはリーグ以外の興行か

2014-10-23 21:45:04 | 日記
 ドラフト会議を見ていますと、スポーツと政治は無関係でも、スポーツとビジネスは相互扶助にある事が理解できます。

 例えばですが

 1・テレビ中継を毎年TBSが担う
 2・昨年と今年は大正製薬がスポンサーである
 3・自社の看板商品「リポビタンD]の売り込みが拡大

 と言う形で、その成果が如実に現れます。

 また指定されたホテルにはファンも訪れることができますから、関係者の含めた宿泊費、飲食費で利益を得られますね。

 これはドラフト会議が選手の将来を決めることを前提に行われる

 「ビジネスとしての興行」

 なわけです。

 サッカーは専門紙、地元新聞紙が新入団選手を発表しますが、それはJ1の18クラブ、J2の22クラブが独自で選手を獲得する形ですから、新規選手が一度にお披露目されることが無い為です。

 僕だって長野パルセイロが

 「ヴァンフォーレよりMF伊東を獲得」

 と聞いた時はひどく興奮しましたし、有力と呼ばれる高校生、大学生が入団した際

 「J3、そして地方都市の長野によく来ることにしたな」

 と思いますよ。

 でも他クラブの動向は、やはり専門紙とインターネット・サイトに頼るのが現状で、言い換えれば独自のコネクションでの入団、悪い見方をすれば優しくない入団会見、と言う形になると言えます。

 今は速報性が叫ばれる世の中ですが、今後Jリーグは試合だけでなく

 「それ以外の何かを興行にすること」

 をファンと主に考えるべきだと思います。
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プロ野球、ドラフト会議を見て

2014-10-23 21:35:28 | 日記
 プロ野球のドラフト会議を見ていますと、サッカーの持つ異質さが浮き彫りになりました。

 その異質さとは、プロになる事についての考え方の相違です。

 日本の高校生、大学生でプロ志望の選手たちは、プロになりたいのではない、あくまで

 「日本でプロ野球と言う職業に就きたい」

 わけで、レッドソックスに在籍しちえる田沢投手の例は本当に稀であるということです。

 翻ってサッカーはどうかと言いますと、勿論日本で生まれた以上、日本人選手がJ1、J2クラブから声がかかってほしいと思うのは当然です。

 でも、サッカーでプロになるということは、ある意味

 「プレイするリーグを選ばない」
 「サッカーで報酬が得られるならば、どこでもプロになる」

 という考えはあると思います。

 でも、これはプロ生活を送った後に出てくる思考であり、やはり学校を卒業したての選手たちは、やはり国内に留まることを希望するでしょうから、ドルトムントの丸岡も例外なのでしょうね。

 野球は選択肢がほぼ2択、つまり

 「アメリカは日本でプレイする」
 
 という形ですよね。

 韓国や台湾でプレイする、現地で活躍する事もプロであるという考えが薄いのは、きっと報酬と施設がこの2か国が飛びぬけて整っている為でしょう。

 今、日本サッカーからはシンガポール、タイでプレイする選手が増加していますが、

 「世界各国にプロリーグがあること」

 はサッカーの持つ大きさかと思います。

 一方で選択肢が広すぎる反面、クラブ、監督との出会いがその地でのキャリアに大きな影響を選手と家族に与える事は確かです。
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トッパー、その懐かしい響き

2014-10-23 01:41:33 | 日記
 僕を贔屓にしてくださるお客様の中で、非常にブラジルサッカーが好きな方がいます。

 贔屓クラブはコリンチャンスで

 「2012年コリンチャンスは横浜で世界一になりましたね。」
 「彼らのホームはパカエンブーでしょう」

 と語ると、

 「いやあ、塚田さんよく知っているね!!」

 と相好を崩されます。
 
 その方にトッパー、ペナルティ、フィンタ、アスレタとブラジルサッカーに馴染みのあるスポーツ・ブランドの事を話すと、やはりトッパーに深い思い入れがあることがわかりました。

 1980年代、トッパーはコリンチャンスをスポンサードしており、全国的のファンの多いコリンチャンスならば、それだけ買って下さるファンが多かったわけですよね。

 昔は良い意味でも悪い意味でも

 「一つのデザインが長く用いられる」

 時代でしたから、デザイナーにかかる心理的負担も少なかったと思います。

 その方も、やはりナイキ製のカナリア色は薄いと感じている様子で

 「トッパーがいいよな」

 をおっしゃいました。

 1980年代の品をレトロ・ジャージと言う形で商売に出来るのも何だか不思議なのですが、2040年にもなれば、今の派手なスパイクもレトロのカテゴリーで復刻されるのかもしれません。

 トッパーやペナルティはブランド・ロゴを随時変更する、珍しい企業方針を持ちます。

 ですから今のロゴが将来希少になる可能性はいでしょうね。
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もしセレソンが再度トッパーと契約したならば

2014-10-23 01:16:47 | 日記
 ブラジルを代表するサッカーブランドのひとつにトッパーがあります。

 僕は一昨日、トッパーの現状を調べるためにインターネット検索を用いましたが、その中に

 「セレソンのジャージを今一度トッパーに戻すべき」

 というコラムを見つけました。

 筆者の見解を要約しますと

 1・今のナイキ製ジャージはスウェーデン代表の黄色のように、色彩が明るすぎる
 2・往時のような威厳が感じられない

 と言うもので、指摘されてみれば確かに昔の黄色はもっと濃いめであり、だからこそ緑のアクセントが最高に輝いた、と言う見方もできます。

 ブラジルサッカー連盟はアンブロとの契約終了後、1996年からナイキと契約します。

 それは隣国のアルゼンチンがアディダス(ル・コックの時代もありましたが)と親密だったこと、ナイキがサッカー界進出の足掛かりとして、ロマーリオやロナウドを顧客に迎え入れていた。

 これらとも関係があるのでしょう。

 一方で

 1997年のナイキツアーによる選手の疲弊
 1998年ワールドカップ決勝、あれだけ体調が優れないロナウドがピッチに立ったのは、ナイキの圧力があった為

 という、マイナスの意見があったことも事実です。

 ナイキに限らずデザイナーは、常に刷新するジャージのデザインが追い付かず、色彩の濃度、奇抜なデザインで体裁を取り繕うようになっている気がしてなりません。

 トッパーは80年代と今ではブランド・ロゴが異なります。

 ブラジルのファンからすれば、仮にアスレタを採用すればペレやリベリーノを思い出し、トッパーならソクラテス、ジーコの名前が浮かぶのでしょうね。
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