塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本、またU-20ワールドカップに手が届かず

2014-10-17 22:48:08 | 日記
 韓国の次は北朝鮮。

 4大会続けてU-20ワールドカップ出場を逃した日本代表ですが、8強から4強へ進むには今後どうすべきなのでしょうか?

 衛星放送が無い僕は、彼らの試合を90分見る事もできず、わずか1分程度のダイジェスト映像だけで判断するのがアンフェアだとも感じます。

 これは憶測に近い部分もありますが、敗因を見つけてみたいと思います。

 1・日本人は清潔なのではなく、清潔すぎる

 陽射しの強かった今日、僕はシーツと枕カバーを洗濯しましたが、日本企業が開発する匂いを落とす、防カビ、白へのこだわりはある意味度を超えているようにも思います。

 確かに親御さんにとって、医療費がかさむならば、除菌のできる洗剤と毎日の洗濯が必要、と言う考えを一概に否定できませんが、他国に出かけてその環境を不快に思うのであれば、やはり難しい問題になってしまいます。

 2・計画がほぼその通りに進む日本

 サッカーに限らず、日本は日々、計画通りに物事が進みます。

 新幹線の安全性、遅延の少なさも有名ですよね。

 ですから列車がほんのわずか遅れても、運転手からアナウンスがありますし、僕たちも苛立ちを覚えてしまうわけですが、ここまでシステマチックに動く国の方が稀でもあります。

 アジア諸国で物事が思うように進まない、違う練習場をあてがわれた、という事で選手が苛立ちを覚えるのであれば。

 それも克服すべき課題になります。

 3・それほど今の10代、20代は薄弱なのか

 スマホが手放せないのは彼らだけではありませんし、少なくとも日本では海賊版の流通や、極端な話そうそう「食べられない」事もありません。

 一方で何かに熱中できない、意思を表現できないと言う指摘もあります。

 サッカーが国民性を表現すると言われていますが、彼らの敗北も現状の日本を映しているのかもしれません。
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大石内蔵助に見る対局の見方

2014-10-17 15:09:33 | 日記
 夫、祖父、上司という男性で目上の立場にある人物は、説教よりも自慢話が多いのでしょう。

 それがまた女性や息子の妻、自分の妻からすれば不愉快なのでしょう。

 僕の母は幼いころから

 「この家はお父さんの収入で食べているのよ」
 「お父さんの仕事ぶりは確かに真似できないものよ」

 と一定の敬意を払う事で、上手い塩梅にバランスを調節してきました。

 でも、僕はそれが面倒で仕方がないのですが、38にもなって独り身であり、来年も交際、結婚、新婚旅行など臨むべきもない生活ですと、黙って聞くしか方法がありません。

 サッカーで指揮官に問われることの一つに

 「求心力」

 という3文字があります。

 文字通り「心を救う」という意味ですが、理由は何にせよ、選手が監督の意見を

 「どうでもいいよ」
 「もうこの話は聞きたくないな」

 と思う理由は、案外こうした過去の自慢話や、俺の言う事を参考にしろ、という自意識の現れかもしれません。

 僕が今読んでいる文春文庫「おれの足音」は、池波正太郎先生が描いた元禄忠臣蔵の話で、主人公は大石内蔵助になります。

 内蔵助は

 「昼行燈」
 「居眠りばかりしている」

 と揶揄されますが、赤穂の国家老として

 「自分が口出しをする必要なし」
 「与えられた業務を、各々が遂行していればそれで済む事」

 という、達観した視線、言い換えればGMのような存在なんですね。

 こうした「大局を見る」方法は案外日本独自の発想で、欧米諸国では政治でもスポーツでも、自慢話ややかましい話がまかり通るのかもしれません。

 ただ、こうした対局を見るやり方が、案外女性の進出を助ける、そんな気もします。
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アンフェアだという深い気持ち

2014-10-17 14:59:46 | 日記
 不躾な言い方で恐縮ですが、古来からユダヤの民が欧州諸国に居場所を見つけれらなかった点に

 「選民思想」

 があると言われています。

 もしこの世の終わりが巡ってくるならば、ユダヤの民は生き残るを言う発想が、他の民たちから反感を買い、イスラエル建国まで彼らは領土得なかった、と言う発想です。

 塩野七生さんは著作「ローマ人の物語」の中で、ユダヤの民が歓迎されなかったのは

 1・同じローマの居住区に住みながら、兵役の義務がなかった
 2・彼らの頂点に立つのはユダヤの神であり、カエサル以後続くローマ皇帝ではない
 3・カエサルは少なくとも、ユダヤの民の生き方、宗教的価値観を尊重した

 とあります。

 しかし、ローマの民は同じ地区に住みながら、兵役の為に血を流す事もなく、ローマが責められても傍観し、ただユダヤの教えの従って生きている彼らに不快感があったわけです。

 世の女性の考えを僕は全面的に支持しません。

 それでも
 
 「私たちは家事も子育ても仕事も免除されない」
 「でも亭主は、俺は外で働いて疲れていると言う事しかいわない」

 という不満はわかりますよ。

 僕も出来る限り、洗物と選択、風呂掃除と自分の部屋の掃除を行いますし、出社前にはアイロンをかけます。

 でも、弟は一切家の事を手伝わず、それが何となく「免除」となり、あれこれ家事の注文を付けられる、批判されるのは僕だからです。

 簡単に言えば

 「これはアンフェアだ」

 という気持ちですよね。

 サッカー好きの男性が休日をただサッカー観戦の為だけに生きていれば、当然妻や両親はいい顔をしないでしょうし、逆に夫は休日くらい好きなサッカーに没頭させてほしいと思う物でしょう。

 米国では

 「NFLが開幕すると、夫はまるで私の会話に乗ってこない」

 という妻が多数出現します。

 サッカー好きの男性も、観戦に出向くときは妻が「アンフェアだ」と思うような日常を削ぎ落すことが不可欠でしょう。
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競技が支持されているかどうかを探る目安

2014-10-17 13:58:37 | 日記
 その国にどんな競技が根付いているかは、周囲の言葉からも窺えます。

 例えば米国。

 米国は議会が上院と下院に別れていますが、議員に支持者が陳情に訪れる際は

 「この法案を通すためには優秀はフルバックが必要だ」

 と語るそうです。

 フルバックはNFLの攻撃時、後方のランニングバックが敵陣へ向かうルートを開ける役目を担うために、ボール(法案)を通す(可決)させるためには、優秀な秘書、同意見の議員が必要だ。

 ということを国技になぞらえているのです。

 Jリーグ開幕後、

 「その発言はイエローカード」
 「夏の匂いはレッドカード」

 というように、相手に改善を促す際にこのサッカー用語が用いられるようになります。

 また岡田武史氏が

 「理想の上司」

 と慕われるように、サッカー監督がどうやってクラブの秩序を保ち、躍進する要因を探るのかが近年注目を集めています。

 僕個人は

 1・同時進行で物をこなすことを「ゾーン・プレス」
 2・間髪入れずに進行することを「ハイ・プレス」
 3・仕事を終えて急速していることを「最後尾でのボール回し」

 と勝手に呼んでいます。

 皆さんもサッカー好きの間では会話が弾むでしょうが、同僚や周囲の発言に耳を傾けると、新しい発見があると思いますよ。
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チャンピオンの店頭カタログを見て

2014-10-17 00:21:15 | 日記
 スエットシャツの代名詞であるチャンピオン。

 彼らがジーンズ屋に商品カタログを置いているのを見つけた時、懐かしさと嬉しさで旨が一杯になり、一部頂いてきました。

 当時のチャンピオンは日本サラ・リー社が版権を持っており、僕は甲府市にあるジーンズ屋、「ニューヨーク」で新品を、古着屋で中古を購入していたものです。

 (今はヘインズブランズ・ジャパンが版権を持ちます)

 当時は店頭に商品カタログが普通に置かれており、チャンピオンの歩みを無料で勉強できたものです。

 ですのでジーパン大手の物も新シーズンごとに集めていましたし、甲府市にあったスポージアムという靴屋さんで最新スニーカーカタログも頂いていました。

 今は

 1・紙と配布のコスト削減
 2・インターネットで万人に商品情報を公開する

 という意味でカタログが店頭から消えつつあります。

 僕は最近、スポーツデポ、ゼビオスポーツのような大型店、個人商店のいずれにも出かける事がすくなくなりましたが、サッカースパイクやジャージも今は公式ホームページから情報収集。

 これが一般的ですよね。

 ただ、ウエブ・カタログが

 1・情報の閲覧がしにくい
 2・ネットの最大の長所である速報性が、商品カタログには向いていない

 と言う面もありますね。

 当たり前ですが、そんな簡単に新商品が開発、店頭陳列になるわけもなく、どのブランドも情報の更新はさほど早くありません。

 家電売り場のデモンストレーションで僕も電子書籍に触れたことがあります。

 でも、どう贔屓目にみても本を読んでいる感じを得ることは出来ませんでした。

 僕は卓球部でしたが、サッカー部もきっと20年前はカタログで最新スパイクを眺めていたのでしょうし、それは本当に楽しいひと時でしたよ。
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