塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

アディダスとバイエルンにおける信頼関係

2014-10-03 22:38:35 | 日記
 僕は今日、休日で前々から車のエンジンオイルを好感する予定でいました。

 待合室で備え付けの雑誌を読んでいますと、工場長が

 「塚田さん、交換終わりましたよ」
 「右のリヤタイやに釘が刺さっていたので、修理しておきました」

 と言われて、凄く驚いたんですね。

 何か違和感を感じることなく走っていましたし、選手やファンの命を預かるクラブバス、シャトルバスの運転手は皆整備を心がけているんだ、と痛感した次第です。

 僕が車を買う店は、定年した父が業務中から携わっている店で、僕の事も良く知っています。

 ですから、今まで購入した2台の車はいずれも父の口利きがあったのです。

 そう、ガッリアーニが移籍市場でミノ・ライオラを頼りにするようなものです。

 縁故でなくとも、長きに渡って良好関係を築く間柄になると、融通が効くようになるのは実社会でもサッカーでも同様かもしれません。

 例えばバイエルンとアディダス。

 アディダスはレアル、ミラン、チェルシーも支援していますが、彼らはその時代によってヒュンメル、ケルム、ロット、カッパ、そしてアンブロとスポンサーを変えてきた歴史がありますよね。

 でもバイエルンはベッケンバウアーの70年代からずっと

 「アディダス一筋」

 でやってきた稀有な存在です。

 ドイツではプーマとヒュンメルの人気も高く、後者がザンクト・パウリのスポンサーに名乗り出たことは日本でもニュースになりました。

 でもバイエルンとアディダスの場合は、提示される金額ではなく、お互いが良い所と讃えあう間柄だからこそ、成立しちえる、そんな気がします。

 今、その胸元には金色の世界王者の証が光り輝いていますね。
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僕が感じた本当の遊びと民主主義

2014-10-03 21:49:46 | 日記
 今日、母校戸倉小学校の横を車で通ると、お昼休みでしょう、皆がボールを蹴って遊んでいました。

 戦術や体力に頼らない、本当の意味での遊びのサッカー。

 小学生の頃はただただ蹴飛ばしているだけで、皆との距離が縮まったものです。

 でも棲み分けはありまして、運動が得意な子供は攻撃をそうでない人間は守備を担いましたが、それは誰かが強権をかざすのではなく、自然とそうなる、完全なる民主主義によるものでした。

 忘れもしません。

 お昼休みにサッカーをしていて、GKだった僕はゴール前に転がって来たボールを思い切り蹴飛ばして、前線に送ろうと思ったのですが、自分でもびっくりするくらいの大胆な

 「空振り」

 をして、なんでもないゴロがゴールになったことがあります。

 でも、これが遊びのサッカーの良い所で、皆怒ることもなく、ただただゲラゲラ笑っているだけで、もうサッカーになりません。

 何より、大失敗をした僕自身が、お腹がねじれるくらい大笑いをして、もう起き上がる事すらできません。

 しばらくこの空振り激、休み時間の恰好の話題でした。

 不恰好が、良い意味で皆の話すネタになった、これもサッカーだった為でしょうか。

 これから寒くなり、ウインター・スポーツとしてのサッカーは、本場欧州でより熱がこもります。

 子供たちが泥まみれになったジャージや服を持ち帰ると、母親は良い顔をしないものでしょうが、我が家ではどんなこともなく、普通に洗濯してくれたことは、母に感謝すべきでしょうし、その頃はよく手袋を無くしましたね。

 それは通学用手袋を

 「サッカーGK手袋」

 に見立てていたからですが、冬はボールがあたると痛い思いをするというのも、勉強になりましたね。
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男が嗜みを感じるにはどうすべきか

2014-10-03 01:41:22 | 日記
 マルキージオやベッカムも、様々な方のアドバイスを肥やしにしてきたはずです。

 サッカー選手はクラブと契約するテクニカル・スポンサーの他、衣類ブランドが個人スポンサーになる事もありますし、化粧品の情報も伝達は早いですよね。

 ベッカムがアディダスとH&M、ロナウドがクリアというように、ファッションブランドからしても、サッカー選手を支援することはごくごく日常の案件になります。

 では、僕たちが嗜みを向上させるにはどうすべきでしょうか。

 勿論、個人の自意識も不可欠でしょう。

 僕は妻、恋人がもっと亭主たちに自由にお金を使わせる、服の選び方に口出しをしない方が賢明だといつも感じます。

 サッカーでも勉強でも

 「トライ・アンド・エラー」

 が成長には不可欠です

 受験や資格試験に合格する際、僕たちは自分で教材とノートを選び、どのように取り組むかを考えますし、僕は大学受験が長野で出来る時は、母に交通費を工面してもらい、必ず会場の下見に出かけました。

 サッカーも選手たちは、パス一本、シュート一本成功させるために、莫大な労力を費やしていますよね。

 ですから男の嗜みも、サマになるまでには様々なエラーがあるはずです。

 妻ならばもっとお金を差し出して、亭主が選んだ服や石鹸に口出しをせず、まずその自主性を尊重したらよいのでは?といつも店頭で考えています。

 僕が普段使っている石鹸は、日本の松山が100時間かけて製造する伝統的な釜たき石鹸ですが、これだけの商品が200円以下で買えて、1カ月は有に持ちます。

 ここにたどり着くまで、本当に様々な商品を買いましたよ。

 「またそんな物買って!」

 と怒鳴るよりも、自主性を尊重させなくては、夫は常に妻の顔色をうかがう形になり、両者にとって面倒この上無いと思うのですがどうでしょうか。
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選手から見る嗜みの大切さ

2014-10-03 01:32:53 | 日記
 イタリア代表MFクラウディオ・マルキージオの顔立ちは、男の僕から見ても素敵と思います。

 言葉が適当かどうかはわかりませんが、「美貌」と置き換えても良いと思います。

 それは彼が盟主ユヴェントスに在籍しており、トリノを含むイタリア全土から注目されていることとも無関係ではないと思います。

 つまり

 1・名門の一員である自負と責任
 2・ナイキ(来季からアディダス)、フィアットという世界規模で名声を誇る企業のスポンサーシップ
 3・メディアとファンへの応対

 言い換えれば彼がおかれた状況が、服装と外見を含む嗜みの技量に大きく関与しているのは間違いないでしょう。

 言い換えれば

 「その日に掻いた汗はその日のうちに流す」

 という基本を疎かにはしていない、ということです。

 僕がシャツの採寸やデニムの裾直しをしていると、これではだめだなと思う時は幾度もあります。

 踵が踏まれ放題で汚れがこびりついている靴
 無精ひげが生えた頬
 明らかなオーバーサイズの服

 これでは嗜みと言う言葉が、どこかへ吹き飛んでしまいます。

 僕は小学校の時、「8時だよ!全員集合!」と見て、毎週ゲラゲラ腹を抱えて笑っていました。

 そのときいかりや良助さんは

 「歯を磨いたか?」
 「宿題やったか?」

 と、僕たち、つまりいつも見てくれている小学生たちに

 「小学生の嗜み」

 言い換えれば責任を説いていました。

 選手たちは練習と試合終了後も、自分を律する為に責任を貫きます。

 ならば我々も、同じように責任、つまり嗜みを整えて周囲に敬意を払おうではありませんか。
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リーグに集中できるという考え方

2014-10-03 00:32:01 | 日記
 今僕は通常業務に加え、ふたつの大売出しにも関わっています。

 ですからレジ打ち、個人情報が記載された伝票の保管、応対も含めて業務全てが3倍であるにも関わらず、従業員は増えないという形なのです。

 責任と精神力、体力の消耗だけが重くのしかかるわけですが、思った事はサッカーの世界における、複数のコンペティションにおける掛け持ちです。

 バルサやレアルのように、国王杯とリーガ、そしてチャンピオンズ・リーグすべてで勝とうと思えば、選手の消耗は著しい上に、代表招集も含めれば本当に心休まる時間すらありません。

 また、プレミアの上位クラブは更に苛烈です。

 リーグ・カップとFAカップ、プレミアとチャンピオンズ・リーグと掛け持ちは4つになります。

 カップ戦はシードになっていますが、それでも中盤戦から後半戦に至る過程で勝ち上がっていれば、モウリーニョやペジェグリーニでなくとも、ターンオーバーを含む選手の組み合わせに悩むでしょう。

 近年のリバプールのように

 「チャンピオンズ・リーグが無い分、プレミアに集中できる」

 という見解、僕は違うと思います。

 確かに欧州各地に遠征しないことで、選手の体力は温存できるかもしれません。

 しかし、プレミアで低迷してしまえば、FAカップとリーグカップは大きな重みを持ちますから、手を抜けません。

 事実、ダルグリッシュ政権の2012年、彼らはリーグ・カップを制覇して無冠を回避できましたが、結局ダルグリッシュ政権はこの年で終焉します。

 ですから、リーグに集中できるというのは、他のコンペティションを全て脱落している状態を指す形になり、ビッグクラブにとっては批判の矛先が増えてしまうのではないでしょうか?

 どんなに消耗し、体力の回復が遅れても、選手にとって優勝は最高の体験なのでしょうが。
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